今年は今日、9月24日が旧暦8月15日、十五夜です。お月様の詩を探していて、行き当たったのが、この詩でした。 青空文庫で読めます →図書カード:十五夜お月さん
野口雨情は明治15年(1882年)生まれの詩人、童謡作詞家です。東京専門学校(現。早稲田大学)に入学して坪内逍遙に師事しましたが、1年ほどで中退。この頃、詩作をはじめました。
その後、廻船問屋だった父の事業失敗と死によって家督を継ぎ、資産家の娘高塩ひろと結婚しますが、うまくいかず、家を飛び出して樺太に渡ったものの失敗。家に戻らず、新聞記者などの仕事を転々としながら詩作を続けました。
「しゃぼんだま」「七つの子」「赤い靴」など有名な童謡を書いています。
十五夜お月さん
野口 雨情
十五夜お月さん
御機嫌さん
婆やは お暇(いとま)とりました
十五夜お月さん
妹は
田舎へ 貰(も)られて ゆきました
十五夜お月さん 母(かか)さんに
も一度
わたしは逢ひたいな。
最近の童謡は、子供の心を傷つけないように、明るく元気な歌が多いですが、昔の童謡は、寂しかったり、悲しかったり、苦しかったりすることも、そのまま詩にして歌ってしまうのですね。
実は私は子供の頃にこの歌を歌った記憶がなかったので、十五夜の歌と言えば、ウサギがお月様で跳ねる、あのわらべ歌のイメージが強かったのですけれど、改めて歌詞を読んでみると、なんと悲しい詩なのだろうかと驚きました。
婆やは、昔の裕福な家にいた使用人。ねえやが赤ん坊の子守をする若い使用人ならば、婆やは、ある程度年配で、子供の生活の面倒をみる母親代わりとも言えるような存在でしょう。
その婆やが「お暇とりました」とは、家の事情で解雇されて家を出て行ったということ。それは、裕福だった家に、使用人を雇えないほどの何か重大なことがあったことが推察されます。
さらに、「妹は 田舎へ 貰われて行きました」なのです。子供のいない夫婦のもとへ養子に出されたのか、それとも、働き手として行ったのかわかりませんが、いずれにせよ、親兄弟から離れ、知らない地で生活することになるのでしょう。
そして「わたし」も、おそらく母親から離されて、実家とは違う環境に身を置いているのでしょう。一家離散してしまったのですね。
「母さんに 逢ひたいな」それも「も一度」ですよ。子供が母親から離れて暮らすのは一日だって長く感じるはずです。それが、何日も、何日も……もう永遠に会えないと考えても無理はありません。
去年の十五夜お月様は家族みんなで見ました。ススキを飾り、お団子をお供えして笑顔でお月様を眺めたのです。
今年のお月様も去年と同じようにご機嫌なようすでお空にあるのに、わたしは一人で見上げています。
母さま、もう一度会いたい。ひと目でも。十五夜の月を見上げ、母の面影を探しているのかもしれません。
そんな気持ちをこの旋律に乗せて淡々と歌ってしまうのが、なんとも悲しくて、心が震えるような気がします。
この歌の作曲は、本居長世で、うさぎ、うさぎのわらべ歌の旋律を使っているみたいですね。聞き比べると良く似ています。
うさぎ
うさぎ なに見て はねる
十五夜 お月さま 見て はねる
作者の野口雨情は裕福な家に生まれ育ちましたが、父親の事業失敗などで生家が崩壊していく姿を見てきました。当時は没落して行く家がもっと身近にあったのかもしれません。
子供たちはこの詩の意味を知っていて歌っていたのか、それとも、知らないで歌っていたのかわかりませんが、わらべうたや童謡は意外に残酷だったり、悲惨だったりすることもあります。