くきはの余生

リタイアしてようやくのんびり暮らせるようになりました。目指すは心豊かな生活。還暦目前で患った病気のこと、日々の暮らしや趣味のことなどを綴っています。

ピンチの時頼れるのは自分だけ

今週のお題「人生最大のピンチ」

はてなのお題は、毎回すぐに書けなくて、あれこれ悩んだり迷ったりします。私にとっては良い頭の体操になっていて、新しいお題が出る金曜日は楽しみです。

今回のお題も、なかなか書けなくて、頭を悩ませました。今回の場合は、書くことが無いのではなくて、ありすぎて(笑) 人生最大がどれだか判断がつきません。

あえて言うなら、父の闘病生活から亡くなった頃あたりまでの期間かなと考えます。

父は、心臓、胃がん、肺がん、足の血管と、2~3年ごとに手術を繰り返していましたが、これ以上はもうないだろう、定年後はゆっくり老後を楽しめはいいと思っていました。

当時私が49歳から50歳にかけての時期です。突然、父の視力に異常が出て、病院へ行ったところ、脳に腫瘍があると言われ驚きました。

それから、二回の開頭手術、ガンマナイフという放射線治療など目まぐるしい日々が続きました。

病院が車で片道一時間以上という場所にあったので、入院中は、毎日、毎日、母を連れての病院通いをしました。

当時は無我夢中で、なりふり構わずという状態だったので、自分のことなど考える余裕もなかったのですが、あの当時、身に染みて考えたことは「ピンチの時は、夫と自分しか頼りにならない。自分でなんとかするしかない」ということでした。

もちろん、嫁いだ妹や、親戚の人たちも心配してくれましたし、何かあったら声をかけてと言ってくれました。ありがたかったと思います。

でもね、イザ、手を貸して欲しい時って、突然なんですよ。何度かありましたが。

今すぐ急いで来て欲しい、手を貸してくれないかと電話しても、毎回、子供の予定がある、出かけなければならない、今外出中、とかで、何を置いても来てくれることは無かったですね(笑)

時間のある時には、ずいぶん手伝ったり、励ましてもらったりはしましたし、命に関わることならまた別だったかもしれませんけれど、みんな忙しいのです。

私の方にも、一人では心細かったから、頼ったという甘さもあったのかもしれません。結局手を借りなくても何とかなりましたから。

それに、よその家の事には、手を出しにくいというのもあると思います。口出し手出ししすぎれば、私も五月蠅いと思ったでしょうし

親しい間でも、お付き合いの距離を計るのは難しいなと思います。

ともあれ、当時私は更年期まっただ中。今考えると、異常に汗をダラダラ流しながら、父の着替えを持って病院へ通っていたなと思い出します。

きっと、あれが更年期の症状だったのかもしれないと思いますが。気がつけば体調不良なんて感じる余裕もなく終わっていました。

父が亡くなって2年ほどした頃、今度は母の不思議な言動がはじまりました。

認知症です。その後、私が病気になり入院するまでは、母に振り回される毎日でした(笑) これは、また別のお話。