竹内浩三の『ぼくもいくさに征くのだけれど』を読みました。
青空文庫で読めます→図書カード:ぼくもいくさに征くのだけれど
底本は「竹内浩三全作品集 日本が見えない 全1巻」(2001年藤原書店 )
竹内 浩三は、1921年(大正10年)~1945年(昭和20年)三重県出身の詩人。
1942年友人の中井利亮・野村一雄・土屋陽一らと同人誌『伊勢文学』を創刊しますが、同年に大学を繰り上げ卒業して入営。
1945年4月フィリピンルソン島で戦死。遺骨や遺品が無いため、お墓には学生帽が納められているといいます。
ぼくもいくさに征くのだけれど
竹内浩三
街はいくさがたりであふれ
どこへいっても征くはなし 勝ったはなし
三ヶ月もたてばぼくも征くのだけれど
だけど こうしてぼんやりしている
ぼくがいくさに征ったなら
一体ぼくはなにするだろう
てがらたてるかな
だれもかれもおとこならみんな征く
ぼくも征くのだけれど
征くのだけれど
なんにもできず 蝶をとったり
子供とあそんだり
うっかりしていて戦死するかしら
そんなまぬけなぼくなので
どうか人なみにいくさができますよう
成田山に願かけた
詩人のプロフィールを知ると、この飄々とした詩が、突然、ものすごく重たいものに感じられてきます。
当時、世間はみんな戦勝ムードで、華々しい戦争の話題が飛び交っていましたが、ドラマや映画に描かれているように、勇ましく意気揚々と、出征する青年なんていないのだと思います。
みんな心の奥底では、恐怖があり、葛藤があり、複雑な心を抱えて、それでも周りを心配させまいと笑っているのだと思います。
「征くのだけど」「征くのだけど」と、詩の中で何度も繰り返しているのが、詩人の本心を表しているように感じます。
本当は征きたくなんかないんだよ、平凡に普通に、蝶をとったり、子供と遊んだりして暮らしていたいんだよ。叫びが聞こえてきそうです。
今現在、ウクライナで起きているロシアによる侵攻もそう。戦っているのはみんな若い兵士で、犠牲になるのは武器を持たない一般庶民。
上層で侵攻を命令している為政者は、安全な場所で眺めています。
なんともやりきれない、嫌な世界になってしまったのだと思います。
あの時、否応なしに戦いに赴いて、戻ってこられなかった人たちのためにも、戦争で泣く人が増えてはいけない。
それなのに、何をしたらいいのかわからず、僅かばかりの募金をして、心を痛めるだけの日々ではあります。