くきはの余生

リタイアしてようやくのんびり暮らせるようになりました。目指すは心豊かな生活。還暦目前で患った病気のこと、日々の暮らしや趣味のことなどを綴っています。

あめふり・北原白秋:子供の格差悲喜こもごも

北原白秋作詞、中山晋平作曲『アメフリ』。あめあめ ふれふれ かあさんが~の、誰でも知ってるあの歌です。

先日、最近の梅雨の雨は昔とちがって、シトシトではなく、ザアザア、ビュウビュウだな、なんて思いながら、庭を眺めながら口ずさんでいて、そう言えば、歌詞の1番しか知らないなと思ったので、調べてみました。 

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 北原白秋(明治18年、1885年~昭和17年、1942年)は、詩人、童謡作家で、歌人でもあります。 

たくさんの童謡や民謡を作詞していて、今でも歌い継がれています。

『アメフリ』の初出は児童雑誌「コドモノクニ」大正14年(1925年)11月号です。 

  

あめふり

            北原 白秋

 

雨雨 降れ降れ 母さんが

蛇の目でお迎ゐ うれしいな

ピチピチ チャプチャプ ランランラン

 

掛けましょ鞄を 母さんの

後から行(ゆ)こ行(ゆ)こ 鐘がなる

ピチピチ チャプチャプ ランランラン

 

あらあらあの子は ずぶ濡れだ

柳の根かたで 泣いている

ピチピチ チャプチャプ ランランラン

 

母さん僕のを 貸しましょか

君君 この傘差したまえ

 ピチピチ チャプチャプ ランランラン

 

僕ならいいんだ 母さんの

大きな蛇の目に 入ってく

ピチピチ チャプチャプ ランランラン

 

 5番まであったのですね。そういえば、なんとなく、昔聞いたことがあったかもしれません。

元の詩は、すべてカタカナで書かれていたようですが、読みやすく漢字仮名交じりにしてみました。

 

蛇の目は、蛇の目傘のこと。竹で作った骨組みに和紙を貼った和傘で、今は高級品ですが、洋傘が一般的になる前は一般に普及していました。

蛇の目でお迎ゐの「おむかゐ」は、発音としては「い」です。

今の子供達が歌うために「おむかえ」と表記している場合もありますが、原詩では「おむかい」が正解です。

大正時代のことですから、当時は「おむかい」と言っていたのかもしれません。言葉遣いは時代とともに変わるものですから。

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傘を持ってこなかった息子のために、学校まで迎えに来た母と、家に帰る途中の歌なのでしょう。

1番の歌詞は、母親がお迎えに来てくれたことが嬉しくて、跳ねるような足取りで歩いている「僕」が目に見えるようです。

雨の中、傘があって嬉しいのではなく、母親が来てくれたことが嬉しいのだということが想像できます。

だって、ピチピチ チャプチャプ ランランランですものね。

2番も、鞄を肩に掛けて、小さな子供用の傘をさして、母の後に続いて歩く「僕」の幸せが伝わってきます。

母の後を追うようにして歩くということは、母親の庇護のなかに包まれているということ、「僕」が意識していなくても、愛情を受け止めていることになるでしょう。

3番以降は、幸せな「僕」とは対照的な子供が描かれています。

もしかすると、作者は単に、困っている子供を助けてあげるよい子という、道徳的なシチュエーションを表現したかっただけなのかもしれませんが、色々な要素が絡まって、作者の意図とはちがった怖い話にも発展してしまうのです。

3番以降をサッと読んだ時、なんとなく違和感を感じませんでした?

 雨のなかで、よりにもよって柳の木ですよ。松の木ではなく、銀杏の木でもなく、椎の木でもなく、柳の木とは、条件がそろっているでしょう(笑)

雨に濡れて柳の下に立っている者といえば・・・ねえ?

大正時代に、そういう組み合わせがあったかはわかりませんが、現代の私が想像を巡らすには固くない組み合わせだとおもいます。

それが作者の意図と違っていても、作品について勝手に想像するのは自由ですから。この無邪気に見える歌詞の意味を深読みしたって構わないと思います。

いずれにしても、柳の根元で泣いている子は、どんな事情があるにしても、母親に迎えに来てもらえない子です。

一方で愛情に包まれ、一方で孤独に泣く、この格差を童謡のなかで元気に歌ってしまう残酷さ・・・・実際に世の中には、そういう格差は確かにあると思うのですが、無邪気にまざまざと見せつけられるとショックも大きいのです。

昔、教育者だった父が言ったことで、印象に残っていることがあります。

「親から食事を与えられなくて他家の門前に置いてある宅配牛乳を盗んで命を繋いでいる子がいるんだ」と、辛そうに。

むかしは、今ほどセキュリティに厳しくありませんでしたから、朝に、よく家の前に牛乳が置いてあったものでした。

育児放棄、貧困いろいろ理由があるのでしょうけれど、どんな理由があっても盗みは盗み、教師は子供を諭さなければなりません。

あの時の、父の顔がなんとも言えない表情だったのを、思い出します。

話題がそれましたが、幸せいっぱいにルンルン歩いている子と、冷たい雨に打たれ泣いている子の対比に衝撃をうけたものですから、思い出してしまいました。

3番の「あらあらあの子は ずぶ濡れだ」は、単なる状況説明ともとれますが、ひねくれた深読みをすると、「僕」の心の奥には、優越感が隠れているかもしれません。

「僕」にはやさしい母さんがいるんだぞ、うらやましいだろう・・・・素直に歌を受け取ればあり得ない解釈でしょうけれど、人間の心の動きとしては、無いことも無いと、思うのです。

そして、4番。幸せな子は、泣いている子に、自分の傘を貸してあげます。

単純に受け取れば、親切な良い子が、困っている子に手を差し伸べる美談で、作者の意図としては、その通りなのだと思います。

「君君 この傘差したまえ」という言い方が、上から目線と考える向きもあるようです。

「僕」は、ある程度裕福な家の子なのかもしれませんが、大正時代の会話ですから、今の話し方と違っていてもおかしくありません。

でも、解釈のしかたによっては、施された側の泣いている子にしてみれば、素直にありがとうと言える状況だったのかは、わかりませんね。

嫉妬。目の前に、幸せそうに母親と立つ子供をみて、独りぼっちで雨に濡れている子供はどんな気持ちがするのか。

このように考えてしまうと、単純に楽しいはずの雨降りの日が、どろどろした、濁ったものになってしまって恐ろしい。

童謡「あめふり」の都市伝説については、検索すると色々出て来ますからここではくわしくは書きませんけれど、「しゃぼんだま」にしても「通りゃんせ」にしても、童謡には、怖い話がつきまとうものです。

信じるか、信じないかは、あなた次第。