河井酔茗(すいめい)の「ゆずり葉」を読みました。
青空文庫で読むことができます。→青空文庫図書カードNo57431 初出は『紫羅欄花』(1937年・東北書院)。『酔茗詩集』(1973年岩波文庫)掲載の一篇です。
河井酔茗は、1874年(明治7年)の詩人。創作のかたわら雑誌「少年文庫」(文庫)の詩欄を担当、後に女性時代社を起こして「女性時代」を発行。口語自由詩や散文詩を推奨して多くの詩人を育てました。1965年に亡くなっています。
ゆづり葉
河井酔茗
子供たちよ。
これは譲り葉の木です。
この譲り葉は
新しい葉が出来ると
入れ代わってふるい葉が落ちてしまふのです。
こんなに厚い葉
こんなに大きい葉でも
新しい葉が出来ると無造作に落ちる
新しい葉にいのちを譲って__。
子供たちよ。
お前たちは何を欲しがらないでも
凡てのものがお前たちに譲られるのです。
太陽の廻るかぎり
譲られるものは絶えません。
輝ける大都会も
そつくりお前たちが譲りうけるのです。
読み切れないほどの書物も
みんなお前たちの手に受け取るのです。
幸福なる子供たちよ
お前の手はまだ小さいけれど__。
世のお父さん、お母さんたちは
何一つ持ってゆかない。
みんなお前たちに譲ってゆくために
いのちあるもの、よいもの、美しいものを
一生懸命造っています。
今、お前たちは気が附かないけれど
ひとりでにいのちは延びる。
鳥のやうにうたひ、花のやうに笑ってゐる間に気が附いてきます。
そしたら子供たちよ
もう一度譲り葉の下に立って
譲り葉を見る時が来るでせう
親から子へ贈る詩です。この詩を読んで、しばらくの間感想が書けませんでした。
なんだか、これ以上の言葉はいらないし、ただ素直に詩人の言葉を受け取るだけで十分にに思えたのです。
私が今ここにいるということは、両親から、祖父母から、曾祖父母から受け継いだものを背負っているということです。加えて、もっともっと遠い祖先からの記憶をも抱えていると言えます。
そして、それらを、子供達に、遠い未来の子孫にまで引き継いでいくのですね。。
詩人はこう言っています。「みんなお前たちに譲ってゆくために いのちあるもの、よいもの、美しいものを 一生懸命造っています。」
子供達に残していくものは、そうありたいと願います。戦争や死や苦しみなど、わるいものや醜いものは渡したくないと。
世の中の情報を見ていると、暗いニュースばかりで暗澹たる気持ちになることが多いのですが、時には譲り葉の木を見上げて、未来の子供達の溌剌と生きる姿を思い描くことが必要なのでしょう。
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