河井醉茗の「春の詩集」を読みました。岩波文庫『醉茗詩抄』青空文庫で読めます。→図書カード:春の詩集
河井酔茗は、1874年(明治7年)大阪生まれの詩人です。詩集に『無限弓』『灯影』などがあります。口語自由詩を提唱して、「文庫」(少年文庫)の記者として詩蘭を担当して、北原白秋島木赤彦など、多くの詩人を育てました。
春の詩集
河井醉茗
あなたの懐中にある小さな詩集をみせてください
かくさないで___
それ一冊きりしかない若い時の詩集
かくしてゐるのは、あなたばかりではないが
をりをりは出してみらた方がよい。
さういふ詩集は
誰しも持ってゐます。
をさないでせう、まづいでせう、感傷的でせう
無分別で、あさはかで、つきつめてゐるでせう。
けれども歌はないでゐられない
淋しい自分が、なつかしく、かなしく、
人恋しく、うたも、涙も、一しょに湧き出た頃の詩集。
さういふ詩集は
誰しも持ってゐます。
たとへ人に見せないまでも
大切にしまっておいて
春が来る毎に
春の心になるやうに
自分の苦しさを思ひ出してみることです。
詩集には過ぎて行く春の悩みが書いてあるでせう。
ふところ深く秘めて置いて
そつと見る詩集でせう。
併し
季節はまた春になりました
あなたの古い詩集をみせて下さい。
以前には、当ブログに私が若い頃に書いた詩を掲載していましたが、先日、非表示にしてしまいました。はじめは若い頃の記録として残して置こうと考えたのですが、しばらくしたら、どうにも恥ずかしくて、いたたまれなくなってしまったのです。
その後でみつけたのが、この「春の詩集」でした。「をさないでせう、まづいでせう、感傷的でせう/無分別で、あさはかで、つきつめてゐるでせう」その通りでした。
作者が言う「春の詩集」とは、現実の詩集ではありません。言うならば、青春の日々の記憶でしょうか。誰でも通り過ぎてきた若い頃の思い出です。
大人になって思い出すと、なんであんなことで悩んでいたのだろう。どうしてあの時もっとうまく立ち回れなかったのだろう。不器用な自分の行動が恥ずかしく、後悔の念でいっぱいになることもあります。
それでも、あの当時はそう言うしかなかった、そう行動するのが精一杯だった。恥ずかしく思い出すと同時に、当時の自分が可愛らしくも感じるのです。
「ふところ深く秘めて置いて/そつと見る詩集でせう」心を許せる友には話すこともあるでしょうか。それとも、誰にも言わず、そっと心に秘めておくのもまた一興かもしれませんね。