生田春月の「幸福が遅く来たなら」を読みました。
日本の詩歌 26 近代詩集(1970年中央公論社)
青空文庫で読めます。→図書カード:幸福が遅く来たなら
底本は、『霊魂の秋』(1917年新潮社)
生田 春月(1892~ 1930年)は、鳥取県生まれの日本の詩人。ハイネなどの外国文学の翻訳者。
小学校を中退しましたが、17歳の時生田長江の書生となり、文学とドイツ語を学びました。昭和5年、38歳の時、大阪から別当へ向かう船の上から投身自殺した亡くなりました。
幸福が遅く来たなら
生田春月
『幸福』よ、巷まちで出逢であつた見知らぬ人よ、
お前の言葉は私に通じない!
冷たい冷たいこの顔が、私の求めてゐたものだらうか?
お前の顔は不思議な親(した)しみのないものに見える、
そんなにお前は廿年、遠国をうろついてたんだ、
お前はもはや私の『望』にさへ忘れてしまはれた!
よしやお前が私の許嫁いひなづけであつたにしても、
あんまり遅く来た『幸福』を誰が信じるものか!
私は蒼(あを)ざめた貧しい少女の手に眠る、
少女よ、どんなにお前は軟(やは)らかく、枕まくらのやうに 夜毎よごと痛む頭(かしら)をさゝへてくれるだらう!
少女よ、お前の名前は何と云ふ?
もしか『嘆き』と云やせぬか?
そんなら行つて『幸福』に言つてくれ、
お前さんの来るのがあんまり遅(おそ)いので
もはや私があの人のお嫁になりましたと!
誰でも幸福でありたいと望むものでしょう。
詩人が求め続けていたのに、幸福という許婚は、廿年(二十年)もの間、遠くにいて、近寄ってきてはくれなかったようです。
あまりに来るのが遅かったので、それが実際に目の前に来た時には、信じられなくなっていたのでしょうか。
目の前を猛スピードで通り過ぎたときに、急いで捕まえないと、逃がしてしまうのは、確か「幸運」だったと思いましたが。
幸福もまた、目の前にある時に、手を伸ばして抱きかかえないと、ふらふらと、どこか、他の人のもとへ行ってしまうのかもしれません。
そんな詩人に寄り添ってくれるのは、『嘆き』(かもしれない)少女。
詩人のどんな人生が、こんな詩を書かせたのかわかりませんが。思うようにいかない、嘆くことの多い暮らしだったのかもしれません。
皮肉のような、あきらめのような、どう解釈すればいいのかわかりませんでしたが、でも、綴られている言葉は、なぜか、温かみのようなものも感じられて、不思議な詩だなと思いました。