宮沢賢治の「原体剣舞連」(はらたいけんばいれん)を読みました。
詩集『春と修羅』に掲載されている一篇で、青空文庫で読めます。→図書カード:『春と修羅』 底本は『宮沢賢治全集1』(ちくま文庫)
宮沢賢治(1896-1933)は岩手県生まれの詩人、児童文学者。盛岡高校農林学科在学中に日蓮宗を信仰するようになりました。卒業後は農学校の講師をしながら詩や童話を書きました。
原体剣舞連
宮沢賢治
dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah
こんや異装(いそう)のげん月のした
鶏(とり)の黒尾を頭巾(づきん)にかざり
片刃(かたは)の太刀をひらめかす
原体(はらたい)村の舞手(おどりこ)たちよ
鴇(とき)いろのはるの樹液(じゅえき)を
アルペン農の辛酸( しんさん)に投げ
生(せい)しののめの草色の火を
高原の風とひかりにささげ
菩提樹(まだ)皮(かわ)と縄とをまとふ
気圏の戦士わが朋(とも)たちよ
青らみわたるこう気をふかみ
楢と掬(ぶな)とのうれひをあつめ
蛇紋山地(じゃもんさんち)に篝(かがり)をかかげ
ひのきの髪をうちゆすり
まるめろの匂のそらに
あたらしい星雲を燃せ
dah-dah-sko-dah-dah
肌膚 (きふ)を腐植と土にけづらせ
筋骨はつめたい炭酸に粗(あら)び
月月(つきづき)に日光と風とを憔慮し
敬虔に年を累(かさ)ねた師父(しふ)たちよ
こんや銀河と森のまつり
准(じゅん)平原の顚末線(てんまつせん)に
さらにも強く鼓を鳴らし
うす月の雲をよどませ
Ho!Ho!Ho!
むかし達谷(たった)の悪路王(あくろおう)
まっくらくらの二里の洞
わたるは夢と黒夜神(こくやじん)
首は刻まれ漬けられ
アンドロメダもかがりにゆすれ
青い仮面(めん)このこけおどし
太刀を浴びてはいっぷかぶ
夜風の底の蜘蛛(くも)おどり
胃袋はいてぎったぎた
dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah
ちらにただしく刃(やいば)を合わせ
霹靂(へきれき)の青火をくだし
四方(しほう)の夜の鬼神(きしん)をまねき
樹液(じゅえき)もふるるこの夜(よ)さひとよ
赤ひたたれを地にひるがへし
雹雲(ひゃううん)と風とをまつれ
dah-dah-dah-dah
夜風(よかぜ)とどろきひのきはみだれ
月は射(ゐ)そそぐ銀の矢並
打つも果(は)てるも火花のいのち
太刀の軋(きし)りの消えぬひま
dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah
太刀は稲妻(いなづま)萱穂(かやほ)のさやぎ
獅子の星座(せいざ)に散る火の雨の
消えてあとない天(あま)のがはら
打つも果てるもひとつのいのち
dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah
原体剣舞連は、岩手県奥州市江刺の原体区に伝わる民俗芸能です。1922年8月に詩人が現地で見た経験が基になって書かれた詩です。
宮沢賢治の詩の中では好きな詩のひとつ。言葉の一つ一つの意味を解釈するよりも、言葉のリズムや響きを楽しみたいと思い、あまり細かい語釈はしないで、ただただ詩そのものを楽しみました。
私には詩全体を太鼓のリズムが響いているように感じられました。お祭りなどでも太鼓の響きは、日本人に独特の感覚を呼び覚ますように感じます。原始時代から日本人の心の底に染みついた原初的なリズム。自然に手足が動き、体が動き、昂揚し浮き立ってくるようなエネルギーです。
そんな響きが「dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah」と詩全体に満ち、力がみなぎってくるような感覚です。
今回はじめて、YouYubeで原体剣舞連の踊りを見ましたら、イメージしていたのとは少し違っていました。私は北上の民俗芸能「鬼剣舞」(おにけんばい)のイメージが強かったためか、もっと勇壮な荒々しい踊りかと思っていましたけれど、優雅な感じですね。
純粋無垢な子供達が先祖の霊を慰めるために踊るのだそうで、詩の描写通り、男の子は頭巾に黒い鶏の羽根を飾っています。
詩の中に出てくる「悪路王」は、平安時代の蝦夷(東北地方)の族長と言われた人物。坂上田村麻呂に打たれて果てるのですが、舞いを見ながら詩人は悪路王の末路を思い浮かべたのでしょうか。
大和側からすると坂上田村麻呂は英雄で、悪路王は悪者なのでしょうけれど、東北の子孫の気持ちとしては、わが地の英雄こそ悪路王であるのかもしれませんね。
先祖の霊をなだめるための踊りということで、血なまぐさい古代の歴史に埋もれていった人々の霊も慰められるのだと思います。
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