高祖保の「独楽」を読みました。1947年没後に刊行された『高祖保詩集』に収録された未完詩集『独楽』の中の一篇です。
底本は『高祖保詩集』現代詩文庫、思潮社・刊(1988年)。青空文庫で読めます → 図書カード:独楽
高祖保は1910年岡山県生まれの詩人、歌人です。中学卒業後頃に歌誌「椎の木」に参加、短歌と同時に試作もするようになりました。
國學院大學高等部在学中に詩集『希臘十字』を発表。1944年発表の第三詩集『雪』では藝汎論詩集賞を受賞しましたが、この年徴兵されて南方戦線へ送られ、1945年ビルマで35歳で戦死してしまいます。
亡くなった後、遺族らの手によって1947年に『高祖保詩集』が刊行されました。
独楽
高祖 保
秋のゆふべの卓上にて
独楽は廻り澄む
____青森大鰐、島津彦三郎作、大独楽が
____鳥取の桐で作られた古ひ独楽が
____玉独楽が
____陸奥の「スリバツ」独楽が
____土湯、阿部治助作といふ、提灯独楽が
____伊香保の唐独楽が
____九州、佐賀のかぶら独楽が
____三重、桑名のおかざり独楽が
まはるまはる
秋のゆふべの卓上にて
独楽が廻っている
麦酒樽のおなかを ゆさぶりながら 廻るもの
六角の体を傾(かし)げながら 蹌踉(よろめ)くもの
口笛を吹きながら 廻るもの
ころりころりと廻りながら 転がりおちるもの
仆れたのち 廻りはじめるもの
廻りながら 仲間に頭(づ)を ぶちあてるもの
はやくも寝そべって了うもの
寂ねんと
独(ひと)り 廻り澄むもの
独楽よ
廻り廻って澄みきるとき
おまへの「動」は
ちやうど 深山のやうな「静」のふかさにかへる
静にして
なほ動
____この「動」の不動のしづかさを観よ
秋のゆふべの掌の上
独楽 ひとつ
廻りながら 澄んでゆく
はじめてこの詩を読んだ時。最初の「独楽は廻り澄む」という表現に魅せられました。卓上の独楽はただ廻っているのではなく、廻りながら澄んでゆくというのです。
純粋に、凜として、世俗から離れて、ひたすら廻ることだけに没頭しているイメージが浮かびました。また、透明で、冷たく、この世のものではない高みに上がって行くような魂のイメージもありました。
卓上で廻っているのは、各地方で造ら作られた民族工芸品の独楽たち。名前が出ている島津彦三郎も阿部治助も、こけしなどの木工玩具を作っていた東北地方の職人です。
話はそれますが、最近は密かなこけしブームなのだとか。海外からの観光客が日本の伝統民芸品をカワイイと興味を持つようになり、日本の若い女性達も興味を持つようになってきたとか、テレビの情報番組で見たように記憶しています。独楽の写真はこちらを参考に→ 日本の独楽写真集
詩人は卓上で色々な独楽を回しながら、さまざまな形の、それぞれの廻り方をする独楽から目を離せないでいるようです。そしていつしか、個性的な独楽の姿が人間の姿にも見えてくるのです。
知り合いやご近所にこんな廻方をしている人がいるような、この独楽はあの人に似ている。なんて考えたかどうかはわかりませんが、そんな詩人の心を知らず、独楽はただひたすら廻っているのです。
冒頭では卓上で廻っていた独楽でしたが、最後には、「秋のゆふべの掌の上」でまわっています。仏様の掌の上、または神様の掌の上なのか、森羅万象を超えた大きな存在の掌の上で、というイメージが湧きます。
また、最初には複数の独楽がまわっていたのですが、最後に掌の上にいるのは「独楽 ひとつ」です。
それは、詩人自身なのか、それとも選ばれた誰かなのかわかりませんが、「廻り廻って澄みき」って、「「動」の不動のしづかさ」の境地に達した最後のひとりなのかもしれません。