くきはの余生

リタイアしてようやくのんびり暮らせるようになりました。目指すは心豊かな生活。還暦目前で患った病気のこと、日々の暮らしや趣味のことなどを綴っています。

てぐるまの宣旨など宣はせても・桐壺6:源氏物語7

 桐壺の5回目。桐壺の更衣は病が重篤になり退出を願いながらも、帝が手放しがたく、なかなか退出を許されませんでした。

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 ようやく帝のお許しを得て、里下がりされることになりますが、なかなか別れがたく ていらっしゃいます。 

 

てぐるまの宣旨など宣はせても、また入らせ給ひて、さらにえ許させ給はず。

(帝)「限りあらむ道にも、おく先だたじと契らせ給ひけるを、さりとも、うち捨ててはえ行きやらじ」と宣はするを、

女も、いといみじと見奉りて、

(更衣)「かぎりとて別かるる道の悲しきにいかまほしきは命なりけり

いとかく思う給へましかば」 と、息も絶えつつ、聞こえまほしげなる事ありげなれど、いと苦しげにたゆげなれば、かくながら、ともかくもならむを御覧じはてむ、とおぼしめすに、

(更衣家人)「けふ始むべき祈りども、さるべき人々うけたまはれる、こよひより」と聞こえ急がせば、わりなく思ぼしながら、まかでざ給ぶ。

、   

(帝は)輦車使用のことなどを仰せになられても、お部屋に、いっこうにお入りになって一向にお許しになられません。

帝「限りある死出へ向かう道にも、遅れたり先だったりはするまいとお約束したものを、そうだとても、私を打ち捨てては生きられないでしょう」と仰せになるのを、

女(更衣)も、とても悲しいとお見上げ申し上げて、

更衣「今を限りとしてお別れする死出の道が悲しいのにつけても、私が行きたいのは命への道なのです

ほんとうに、このようになると思っておりましたら」と、息も絶え絶えに申し上げたそうなご様子ながら、たいそう苦しそうに怠そうなので、(帝は)このままで、どうなろうとも、最後まで見届けたいとお思いになられるけれど、

(更衣家人)「今日からはじめる祈祷などを、しかるべき僧侶達が承っておられます。今宵から」と、急がせ申し上げれば、どうしようもなくお思いになられて、退出をさせ申し上げます。

 

最後の最後まで手放しがたく、未練をひきずる帝です。

それも当然でしょうか。いつ亡くなってもおかしくないような重篤な状態の最愛の人を、ここで手放してしまったら、もう二度と会うことができないことは重々承知されているのですから。

輦車(てぐるま/れんしゃ)は、人が引いて移動する車で、帝の許可が出ないと乗ることができません。平安時代のスタンダードな乗り物、牛が引く「牛車」よりも格上の乗り物です。

帝の「限りあらむ道にも」のお言葉に対して、更衣が最後に歌で応えます。たくさんの描写を尽くすよりもドラマチックに悲しく演出されています。

それなのに、更衣の家人達は気が気ではないので、別れを惜しむ二人をせき立てます。里家には僧侶たちが待機していて、更衣が到着したらすぐに祈祷をはじめることになっていたからです。

当時は、医師もいて、薬(生薬)もあったらしいのですが、医療よりは加持祈祷で、悪いものを身体から追い出すという考えが一般的でした。

そのため、更衣の里家では、一刻も早く祈祷して病人を楽にしたいと考えたのだと思います。

でも、現代人の私達からすると、病床の近くで僧侶達の読経の声が響いていて、護摩を焚く煙が立ちこめているなんて、考えただけでも体調が悪化しそうですけれどね。