くきはの余生

リタイアしてようやくのんびり暮らせるようになりました。目指すは心豊かな生活。還暦目前で患った病気のこと、日々の暮らしや趣味のことなどを綴っています。

御つぼねはきりつぼなり・桐壺4:源氏物語5

 桐壺の4回目。今回はあまたいるお妃さまがたからのイジメの実情です。

帝の覚えめでたく、誰もかも魅了してしまうような光君を見て、我子こそが東宮(皇太子)にふさわしいと信じている弘徽殿の女御は面白いはずはありません。

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帝の桐壺の更衣へのご寵愛はいよいよ増すばかりではありますが、そのせいで、周りからの嫌がらせも強くなってくるのでした。 

 

御つぼねはきりつぼなり。あまた御かたがたを過ぎさせ給ひて、ひまなき御まへ渡りに、人の御こころを尽くし給ふも、げにことわりと見えたり。

まうのぼり給ふにも、あまりうちしきる折りおりは、打ち橋渡殿のここかしこの道に、あやしきわざをしつつ、御送り迎への人のきぬの裾たへがたく、まさなき事もあり。

又ある時には、えさらぬ馬道(めだう)の戸をさしこめ、こなたかなた心をあはせて、はしたなめらづらはせ給ふ時も多かり。 

  げに嫉妬は恐ろしきことかな。光君を産んだことで、帝の桐壺の更衣へのご寵愛がさらに深くなり、お妃さまがたの嫉妬がエスカレートして行きます。

(桐壺の更衣の)お部屋は桐壺です。たくさんいるお妃さま方のお部屋の前を通り過ぎて、(桐壺の更衣が)頻繁に帝の御座所にお渡りになるのを、(お妃さま方が)お心を砕いていらっしゃるのも、当然のこととお見受けします。

(桐壺の更衣が)帝の御座所にお上がりに成られるのに、あまりに度重なる折々には、打ち橋殿のあちこちに、汚いものをまき散らし続けて、送り迎えの女房の衣を裾を耐えがたいほどに見苦しくなってしまううこともありました。

また、ある時には、通らなければならない馬道の戸に鍵を掛けて、あちら側とこちら側とで示しあわせて、きまりの悪い思いをさせて苦しませることも多くありました。

 帝が日常生活を過ごすのは清涼殿です。桐壺の更衣が賜っている局( 部屋)は桐壺で、正式名称は淑景舎(しげいしゃ)。お庭に桐の木が植えられていたことから桐壺と呼ばれます。

桐壺は帝の住む清涼殿からは一番遠い位置にありました。内裏の地図はこちらです→平安京内裏地図

ちなみに、一の御子を産んだ弘徽殿の女御の局、弘徽殿は、清涼殿のすぐ近くに位置します。お妃さま方の中では一番重きを置かれている立場ということになります。

宮中はいくつもの建物が渡殿や馬道(渡り廊下のような板敷きの通路)で繋がっているので、桐壺の更衣が清涼殿へ参上するには、他のお妃さま方の局の前を通って行かなくてはなりません。

局の前を通り過ぎれば、「ほらまた、お渡りになるわ」と、すぐにわかってしまいます。お妃さまがたの嫉妬の炎も激しく燃えさかって行くのでした。

帝からのお召しが頻繁になるにつけて、嫉妬に駆られたお妃さまがたのしうちも陰険になって行きます。

通り道に汚物をまき散らしたり、馬道の扉を閉めて閉じ込めてしまったり、きわめて幼稚なイジメですけれど、桐壺の更衣にしてみれば精神的な負担も大きくなったと思います。

帝は、その後、桐壺の更衣の局を、もっと清涼殿に近い局に移させるのですけれど、そうなると、もともとその局に住んでいたお妃さまが他の場所へ引っ越しさせられてしまったので、それもまた、桐壺の更衣への恨みとなってしまうのでした。

帝ひとりに、お妃が多数というのは、必ず次世代の帝候補を得なくてはならないという大義名分があったとしても、現代人の感覚からすれば、なかなかに酷な制度ではありますね。