くきはの余生

リタイアしてようやくのんびり暮らせるようになりました。目指すは心豊かな生活。還暦目前で患った病気のこと、日々の暮らしや趣味のことなどを綴っています。

わたし音楽部でした

今週のお題「わたし○○部でした」

小学生の時は「器楽部」で、アコーディオン、エレクトーンなどを担当。中学生の時は「ブラスバンド・クラブ」で、フルートやピッコロを吹いていました。加えて「合唱部」で混声合唱も。

高校時代は「音楽部」で女声合唱。文芸クラブにも所属していました。大学では「コーラス部」で混声合唱でしたね。

ずっと音楽関係のクラブ活動をしていましたが、実は、私はあまり音楽は得意ではありませんでした。

 

母が、歌がうまく歌えない人で、コンプレックスを持っていたんでしょうね。子供の私まで音痴ではいけないと、レコードで童謡などを聴かせ、音楽教室(当時はオルガン教室)に通わせてくれていました。ピアノやエレクトーンも習いましたけれど、不器用なせいで、ほとんどモノになりませんでしたけれど。

そのおかげか、音楽が好きになって、とりあえずは調子を外さない程度には歌えるようにはなりました。

ちなみに、調子外れなのを自覚していて、人前では決して歌わなかった母ですが、認知症になってからは、施設に面会に行くと、よく楽しそうに歌っています。それも、あまり音程を外さずに歌っているので、驚きました。

私がオペラが好きで、大人になってからよく観に行くようになったのは、小学6年生の時、器楽部で合奏した「カルメン前奏曲」の影響です。

高校の音楽部の仲間は、ピアノや声楽など、音楽方面に進んだ人も多くいて、彼女らの影響もあって興味が続くようになった気がします。

学生時代、その後社会人になってからは、市民合唱団などに参加して、オペラ歌手の方々のバックで歌う機会を得たり、定番の「第九」に参加したりもしました。

もう、何十年も歌ってはいませんが、今思うと、色々と楽しい経験ができたなと思います。