北原白秋の「黒い子猫」を読みました。『おもひで 抒情小曲集』(1911年東雲堂書店)に掲載されている一篇です。青空文庫で読みました。→ 図書カード:思ひ出
北原白秋は1885年福岡県生まれの詩人、童謡作家、歌人です。雑誌「明星」「スバル」などに作品を発表。鈴木三重吉の「赤い鳥」に参加して童謡を発表しました。「からたちの花」が有名です。1942年に亡くなっています。
黒い子猫
北原白秋
ちゆうまえんだの百合の花
その花あかく、根はにがし。____
ちゆうまえんだに來て見れば
豌豆のつる逕(みち)に匍ひ、
黒い子猫の金茶の眼、
鬼百合の根に晝(ひる)光る。
べんがら染か、血のいろか。
鹿子(かのこ)まだらの花瓣(はなびら)は裂けてしづかに傾きぬ。
裂けてしづかに輝ける褐(くり)の花粉の眩(まば)ゆさに、
夜の秘密を知るやとて
よその女のぢつと見し昨(きそ)の眼つきか、金茶の眼、
なにか凝視(みつ)むる、金茶の眼。
黒い子猫の爪はまた
鋭く土をかきむしる
百合の疲れし球根のその生(なま)じろさ、薄苦さ、
掻きさがしつつ、戯れつ、
後退(あとじさり)しつつ、をののきつ、
なにか探(さ)がせる、金茶の眼。
そつと堕胎(おろ)したあかんぼの蒼い頭か、金茶の眼、
ある日、あるとき、ある人が生埋(うきう)めにした私生兒(みそかご)の
その兒さがすや、金茶の眼、
百合の根かたをよく見れば
燐(りん)は濕(し)めりてつき纏(まと)ひ、
珠のあたまは曝(さ)らされて爪に掻かれて日に光る。
何か恐るる、金茶の眼。
ちゆうまえんだの百合の花、
その花赤く、根はにがし。___
ちゆうまえんだに來て見れば
なにがをかしき、きよときよとと、
こころ痴(し)れたるふところ手、半ば禿げたるわが叔父の
歩むともなき獨語(ひとりごと)ひとり終日(ひねもす)畑をあちこち。
註 ちゆうまえんだ。わが家の菜園の名なり。
「ちゆうまえんだ」には底本では傍点が打ってありましたが、ここでは省略しました。詩人の家の菜園の名だと言うことですが、どんな字を当てるのか、どんな意味なのかわかりませんでした。
裏にスキャンダルが隠れていそうな不気味な詩です。黒猫のイメージは、ホラーやミステリーによく合いますけれど、この詩では、無邪気な黒い子猫が菜園の鬼百合の根元で、ある夜に起こった無残な事件を暴くのです。
「ある日、あるとき、ある人が」密かに菜園に埋めたもの。誰が埋めたのかはわかりませんが、不義の子を堕ろした女であるようにイメージしました。使用人の女なのかもしれません。
昼に咲く鬼百合のまだら模様の花びらは、悲惨な事件を暗示しているようにも見えます。手についたら落ちにくい赤い花粉は血の色にも似て、その白い球根は、蒼い赤子の頭とも重なります。
また、詩の中で百合の球根について何度も「苦し」と言っているのも、そのできごとについての詩人の感覚なのかなという気がします。
詩人は原因を作ったらしい男の姿を目撃しています。「半ば禿げたる」ですから、さほど若くはないのでしょう、狂ったように懐に手を入れて、独り言をつぶやきながら菜園をふらふら歩く叔父の姿です。
結果どうなったのかはわかりませんが、なんとも、ミステリアスで怪奇幻想的な詩です。