私が断捨離をしようと決心したのは3年前のことです。現在も継続中で、まだ終わりが見えていません。
我が家は、祖父母の代からの家で、田舎仕様の開放的な家です。なまじ部屋数が多く、収納スペースが広いせいでモノが多く、どの部屋も雑然とした物置状態でした。
親子三世代、「捨てる」という感覚がなかったもので増えるばかり。モノがどんどん溜まって重なって、あふれ出しているという、典型的な汚家でした。
私は、いわゆる跡取り娘で、夫と結婚した当初は夫婦3世代と妹の7人家族でした。
妹が嫁ぎ、祖父母が亡くなり、父が亡くなり、3人家族に。そして、母は、私が病気になったため世話が難しくなって、老健施設に入所させてもらいました。そのため現在は、夫と私の2人だけが家に住んでいます。
夫婦最後に残るのはどっち?
と、言うことは、いつかは必ず夫婦のどちらかが先に亡くなり、どちらかひとりだけが残ることになります。
そしてさらに、最後のひとりが亡くなった後、私たちには子供がありませんので、主のいない家を誰が片付けるのだろうかと考えました。
今は、遺品整理をしてくれる業者さんもあるようですから、料金さえ支払えばやってくれるでしょうけれど、結局は、嫁いだ妹か、従兄弟の誰かが後始末をすることになるはずです。
モノに溢れた我が家を、妹や親戚に片付けさせたのでは申しわけない。金銀財宝でもある家ならともかく、たいした遺産もなく、片付けの負担だけを残してしまうのは可哀想だと考えました。
でも動けない
家の中にものがあふれて雑然としているのを何とかしようと思いながらも、どこから手をつけたら良いのかわからずにいましした。
たくさんのものをそのまま収納し整理整頓するには、ものすごいエネルギーが必要ですし、なんと言っても面倒臭い。
さらには、どうせ片付けなくても死ぬわけではないと開き直ってしまいましたから、長いこと動けませんでした。
断捨離との出会い
そんな時に出会ったのが、やましたひでこさんが提唱している「断捨離」でした。
最初は、ワイドショーか何かに取り上げられたのをチラッと見て興味を持ち、その後、何冊か著書を読みました。
それまで、モノを「捨てる」という意識がなかった私にとって、断捨離は衝撃的な考え方でした。
「ものを大切にしなさい」としつけられてきたせいか、捨てることに対する罪悪感のようなものがありましたから、「捨ててもいいんだよ」と、背中を押されたような気もしました。
意識の変革
いらないものを捨てて減らせば、片付けの労力も少なくて良い。ちょっと考えればわかりそうなことなのに、私は、まったく思い至らずにいたのでした。
そうして、少しずつですが、断捨離の考え方で 捨てるトレーニングをするようになり、それが生活の中に取り込まれ、習慣になって現在に至っています。