佐藤春夫の「秋の女」を読みました。
『佐藤春夫詩集』(1926年・第一書房)に掲載の一篇です。
青空文庫で読めます。→図書カード:佐藤春夫詩集
佐藤春夫は、(1892年~1964年)日本の詩人、作家。明治末期から昭和にかけて活躍しました。
弟子が多いことでも知られていて、、太宰治、檀一雄、吉行淳之介、柴田錬三郎、遠藤周作、安岡章太郎など、後に著名な作家になった人も多くいます。
秋の女よ
佐藤 春夫
泣き濡れて 秋の女よ
わが幻のなかに來(く)る、
泣き濡れた秋の女を
時雨(しぐれ)だとわたしは思ふ、
泣き濡れて 秋の女よ
汝(な)れは古城の道に去る、
頸(うなぢ)に柳葉(やなぎ)はがちりかかる
枯れた蓮(はちす)を見もしない、
泣き濡れて 秋の女よ
汝(な)れがあゆみは一歩一歩、
愛する者から遠ざかる
泣き濡れて泣き濡れて、
泣き濡れて 秋の女よ
わが幻のなかに去る、
泣き濡れた秋の女を
時雨だとわたしは思ふ、
一しきりわたしを泣かせ
またなぐさめて 秋の女よ、
凄まじく枯れた古城の道を
わが心だとわたしは思ふ
青空文庫で『佐藤春夫詩集』を読んでいて、この詩にさしかかったとき、なぜか、突然、脳裡に自然と曲が流れたのです。
自分でも「あれ?」と思って、もう一度読み返してみたら、合唱曲になっている詩で、かつて歌ったことのある歌でした。
タイトルを「あきの おんな」と読んでしまったので、気がつかなかったようです。「あきの おみな」と読みます。
大中恵作曲「ピアノ伴奏による五つのうた」(海の若者・秋の女よ・花笛・沼・別れの唄・バスのうた)の一曲でした。
どこで歌ったか、いつ歌ったのか記憶にないのですが、主旋律ではなく、対旋律、それもアルトパートが思い浮かんだので、きっと、歌ったことがあるのだろうと思います。
しっとりと、艶っぽくて、淋しくて、少し演歌に近い詩だなという印象でした。
男の幻に映る女は、泣き濡れて遠ざかって行く後姿。(きっと着物姿の美しい女性)。
もしかすると、泣き濡れているのは「私」の心なのかもしれないとも思います。
冬に向かって木々の葉が落ちた古城の道を、(おそらく石畳の細い道)一歩、一歩離れて行ってしまう。
そんな女性を、なすすべもなく、立ち尽くして見送る「私」は、女を「時雨」だと思うのでした。
時雨は、一瞬激しく降って、すぐに上がる通り雨。
ひととき燃え上がった恋が、いまは過ぎ去ってしまって、二人は何も言わずに離れていく。
ドラマチックな妄想が広がります。