くきはの余生

リタイアしてようやくのんびり暮らせるようになりました。目指すは心豊かな生活。還暦目前で患った病気のこと、日々の暮らしや趣味のことなどを綴っています。

秋刀魚の歌・佐藤春夫:昼ドラ真っ青の恋愛模様が隠れていた

佐藤春夫の「秋刀魚の歌」を読みました。

青空文庫 我が一九二二年 →青空文庫図書カードNo56872

初出は雑誌「人間 第3巻11号」(1921年)。底本は、『現代の本文学大系42佐藤春夫集』(1969年筑摩書房)

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佐藤春夫は、1892年(明治25年)生まれの詩人、作家。随筆や童話、戯曲、短歌などの作品も書いています。

門弟が多いことでも知られていて、太宰治、檀一雄、柴田錬三郎、遠藤周作、安岡章太郎など蒼々たる作家が影響を受けいてました。

1964年(昭和39年)に心筋梗塞の発作で死去しています。

 

 秋刀魚の歌

 

      佐藤春夫

 

あはれ

秋風よ

情(こころ)あらば伝へてよ

___男ありて

今日の夕餉(ゆふげ)に ひとり

さんまを食(く)らひて

思いにふける と。

 

さんま さんま

そが上に青き蜜柑の酢をしたたらせて

さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。

そのならひをあやしみなつかしみて女は

いくたびか青き蜜柑をもぎて夕餉にむかひけむ

あはれ、人に捨てられんとする人妻と

妻にそむかれたる男と食卓にむかへば。

愛うすき父を持ちし女の児は

小さき箸をあやつりなやみつつ

父ならぬ男にさんまの腸をくれむと言ふにあらずや。

 

あはれ

秋風よ

汝(なれ)こそは見つらめ

世のつねならぬかの団欒(まどゐ)を。

いかに

秋風よ

いとせめて

証(あかし)せよ かの一ときの団欒ゆめに非ずと。

 

あはれ

秋風よ

情あらば伝へてよ

夫を失はざりし妻と

父を失はざりし幼児とに伝へてよ

___男ありて

今日の夕餉に ひとり

さんまを食らひて

涙をながす と。

 

さんま、さんま、

さんま苦いか塩つぱいか。

そが上に熱き涙をしたたらせて

さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。

あはれ

げにそは問はまほしくをかし。

 

 

 「さんま苦いか塩つぱいか」。以前は独身男が秋の夜長に、秋刀魚をつついている清貧の詩かと誤解していましたが、よくよく背景を知ってみると、昼ドラめいた恋の物語が隠れています。 

 主な登場人物は以下の3人になります。

人に捨てられんとする人妻」「夫を失はざりし妻」は、谷崎潤一郎さんの妻、谷崎千代さん 24歳。

「妻にそむかれたる男」「父ならぬ男」は妻の香代子さんと別れたばかりの佐藤春夫さん29歳。谷崎潤一郎の友人でした。

「愛うすき父を持ちし女の児」は、谷崎潤一郎と千代の娘、鮎子ちゃん。

 華やかな女性がタイプの谷崎は貞淑な妻の千代とは冷え切っていました。それよりも、千代の実妹のせい子に魅かれていたのです。せい子は小説「痴人の愛」のモデルになったという奔放な女性でした。

  千代は夫とうまく行かないことに悩んでいて、夫の親友の佐藤に相談をしていました。やがて、佐藤の心がいつしか恋に変わって行くのも当然の成り行きでした。

 ある夜のこと、谷崎が仕事で留守だった時に、佐藤が訪ねて来ました。千代は佐藤を家に上げて、娘の鮎子ちゃんと三人で夕ご飯を食べました。メニューは秋刀魚でした。

 娘の鮎子ちゃんは物怖じせずに、父でもない春夫おじさんに、親しげに秋刀魚の腸を渡すのでした。腸は苦くて小さな子供には食べにくいですからね。

 そんな、ひとときの団欒があったことを思い出しながら、詩人佐藤春夫はひとり、人妻千代への断ち切れない思いを自嘲しながら、あの日と同じ秋刀魚を食べているのです。

 その後、紆余曲折あって「細君譲渡事件」としてスキャンダルになるのですが、最終的に千代さんは、谷崎潤一郎と離婚、佐藤春夫と結婚することになり、三人の連名で声明文を出したりもしています。めでたし、めでたし。