島崎藤村の「傘のうち」を読みました。詩集『若菜集』(1892年春陽堂)に掲載されている一篇。
青空文庫で読めます →青空文庫図書カードNo.1508 底本は『藤村詩集』(1968年新潮文庫)
島崎藤村は1972年(明治5年)生まれの詩人、小説家。北村透谷の雑誌「文学界」に参加して作品を発表、1986年に処女詩集『若菜集』を、続いて『一葉舟』『夏草』『落梅集』の4冊の詩集を出版して浪漫派詩人として知られるようになります。
その後は詩作からは離れて、小説を書くようになり『破戒』『夜明け前』などが有名です。
傘のうち
島崎藤村
二人してさす一帳(ひとはり)の
傘に姿をつつむとも
情(なさけ)の雨のふりしきり
かわく間もなきたもとかな
顔と顔とをうちよせて
あゆむとすればなつかしや
梅花(ばいか)の油黒髪の
乱れて匂ぶ傘のうち
恋の一雨(ひとあめ)ぬれまさり
ぬれてこひしき夢の間や
染めてぞ燃ゆる紅絹(もみ)うらの
雨になやめる足まとひ
歌ぶをきけば梅川よ
しばし情けを捨てよかし
いづこも恋に戯(たはぶ)て
それ忠兵衛の夢がたり
こひしき雨よふらばふれ
秋の入り日の照りそひて
傘の涙を乾(ほ)さぬ間に
手に手をとりて行きて帰らじ
『若菜集』では「初恋」という初々しい恋心を詠った詩が有名ですが、それとは対照的な詩です。
最初読んだ時は、相合い傘の詩かな? と思ったのですが、よくよく読んでみると、おそらく、恋人達の「愛の道行き」を詠っているのかなと感じました。相合い傘だと微笑ましいですけれど、逃避行だと深刻です。
「夜目遠目笠の内」と言う言葉があります。女性は、夜見る時、遠くから見る時、笠を被っている時のように、はっきり見えない方がより美しく見えるという意味です。
ここでは笠ではなくて傘ですが、雨の中、傘に隠れて見え隠れする女性の輪郭が美しさを想像させます。
傘内で男と頬を寄せている女の髪油の匂い、雨に濡れた着物の裾がめくれて紅絹がチラリと見える姿など、女性の色香も感じます。
そして、口ずさむのは梅川・忠兵衛の浄瑠璃。これは近松門左衛門作の「冥土の飛脚」。飛脚問屋の養子忠兵衛と、遊女梅川の物語です。
詩人がリアルで経験したことというよりは、想像の中で膨らんだイメージではないかと思いますが、浮世絵を見ているような、歌舞伎の一場面を見ているような美しい光景が描かれています。