石垣りんの「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」を読みました。
『永遠の詩5 石垣りん』(小学館eBooks)掲載の1編。
詩集『わたしの前にある鍋とお釜と燃える火と』(1954年)に掲載されています。初出は『銀行員の詩集』伊藤信吉・野間宏・選(1952年)
石垣りんは1920年生まれ。2004年に84歳で亡くなっています。14歳で銀行に就職し家族を支えて定年まで勤め上げた働く女性でした。
祖母も母も、そして私、主婦の前には代々お鍋やお釜、そして、調理するための火がありました。
働く女性詩人はそれを否定していません。むしろ「愛や誠実の分量」をそそぎ、朝昼晩の食事を作り続けている行為を「無意識なまでに日常化した奉仕の姿」と表現しています。
家族を「あたたかい膝や手」と書いていることにも魅かれます。
それらの人たちがいるからこそ、毎日毎日食事を作り続けることができるのです。
私が40代の頃、父の闘病生活を助けるために、それまでしていた仕事を辞め、専業主婦になりました。
当時、近所の人や知り合いから「今は何をしているの?」と問われた時。「専業主婦」だと答えるのかなんとなく恥ずかしいような気がしました。
まわりの同年代の女性のほとんどは、お勤めをしていましたので、なんだか家で何もせずに遊んでいるような気がしたためです。
確かに、お勤めよりも自由な時間が増えましたけれど、決して遊んでするわけけでもなかったのですが、家事は仕事ではない、やって当然なこと、というような昔からの認識が残っていためなのかもしれません。
でも、この詩の前半部分を読んで、少し救われたように感じました。
良いのだ。家族が居るからこそできる家事は、ちゃんとした仕事だと誇ってもいいのだと思いました。
ただ、詩人は詩の後半で、そういう主婦も家の中のことばかりでなく、「政治や経済や文学も勉強しよう」と勧めています。
狭い家の中だけが女性の世界のすべてではいけない、家庭の視点から世の中の様々なことを見、聞き、知って世界を広げることが大切なのですね。
女性が単なる夫の付属ではなく、ひとりの人間として自立して生きて行くために、知識を増やし、自分を育てて行くべきなのです。