萩原朔太郎の「山に登る」を読みました。
『永遠の詩7 萩原朔太郎』(小学館eBook)掲載の一篇です。
初出は1917年発行の雑誌「感情」1917年詩集『月に吠える』に収録されています。
一見静かなようで、奥に情熱を秘めた愛の詩です。
山に登る
旅よりある女に贈る萩原朔太郎
山の頂上にきれいな草むらがある
その上でわたしたちは寝ころんで居た。
目をあげてとおいふもとの方をながめると、
いちめんにひろびろとした海の景色のようにおもわれた。
空には風がながれている、
おれは小石をひろって口にあてながら、
どこというあてもなしに、
ぼうぼうとした山の頂上をあるいていた、
おれはいまでもお前のことを思っているのである。
詩の前半が「わたしたち」であるのに、後半が「おれ」になっているので、最初どういうことなのだろうと疑問に思いました。
でも、何度か読んでいるうちに、「わたしたち」と「おれ」の間には時間の隔たりがあるのだということに気がつきました。
かつて山頂の気持ちの良い草むらに寝転んでいた「わたしたち」を、今、一人で山頂を歩いている「おれ」が回想しているのですね。
山頂が同じ場所だったかどうかはわかりませんが、終わってしまった恋を複雑な思いで思い起こしている詩人の姿が目に見えるようです。
解説によると、副題にある「ある女」とは、妹の友達で、朔太郎の初恋の人だった馬場ナカという女性だそうです。草稿には「E女に」とされていて、馬場ナカの洗礼名「エレナ」のEであるようなのですね。
それにしても、最終行の「おれはいまでもお前のことを思っているのである。」とは、なんともストレートな愛の告白でしょうか。
それ以前の行は過去形で書かれているのに、ここに来て秘めに秘めていた感情が爆発したかのようにキッパリと断定しているのです。
初恋の人馬場ナカは嫁いで医者の奥様になりました。詩人は彼女が人妻になってもなお、その思いを断ち切れなかったようです。
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