10月に入ってから、ようやく少しずつ料理をするようになりました。
抗ガン治療がはじまってから、貧血やしびれなどの副作用で、長い間立っていられなかったのと、眼底出血であまり目が見えなかったこともあって、台所に立つことができなくなっていました。
抗ガン治療が終わって約5ヶ月になりますから、だいぶ回復してきました。最近は、夕食に、簡単にできるおかずを作るようにしています。
私が料理が作れなかった間、我が家の食事はどうしていたかと言いますと、すべて夫が用意してくれていました。
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抗ガン治療がはじまってから、貧血やしびれなどの副作用で、長い間立っていられなかったのと、眼底出血であまり目が見えなかったこともあって、台所に立つことができなくなっていました。
抗ガン治療が終わって約5ヶ月になりますから、だいぶ回復してきました。最近は、夕食に、簡単にできるおかずを作るようにしています。
私が料理が作れなかった間、我が家の食事はどうしていたかと言いますと、すべて夫が用意してくれていました。
続きを読む今日の1枚の写真はこちら。チョコレートです。
昨年12月に自分が糖尿病だと知ってから、大好きなチョコレートはひと口も食べていませんでした。当然ケーキやクッキーなどのスイーツもです。
もう一生スイーツは食べられないと覚悟を決めていたのですが、先日、ネットでGI値の低い食べ物を調べていて、見つけてしまったのです。
続きを読む10月12日に婦人科と代謝内科の外来に行ってきました。現在は2ヶ月に1回診察に行っています。
今回から婦人科と代謝内科のサイクルが合って、同じ日に予約できるようになったので楽になりました。プラス、別の日に眼科。こちらも2ヶ月に1回です。
前回までは、病院内は夫に車椅子を押してもらって移動していたのですが、今回からは自分で歩いてみました。受付窓口から採血室へ行ったり来たりと結構距離がありますが、少々ふらつきながらも、壁や手すりで支えながら、なんとか最後まで歩けたので自信になりました。
続きを読む4回目の抗ガン治療を終えて退院したばかりの頃、母が緊急入院しました。
母は私の実母です。認知症で、着替えなど最低限の身の回りのことは概ね自分でできますが、失禁してもそのことを自覚できない状態です。介護保険のランクは要介護1、週2回デイケアに通っていました。
私が病気で入退院を繰り返していたため、入院中は夫が母の世話をしていてくれました。
続きを読む山村暮鳥作の「手ぶくろ」を読みました。底本は『日本児童文学大系』第14巻(ぽるぷ出版)、親本は昭和16年(1941年)『春の膿のうた』(教文館)です。青空文庫で読みました。→図書カード:手ぶくろ
山村暮鳥(1884-1924)は、群馬県生まれの詩人、児童文学者。神学校在学中に詩や短歌の創作をはじめました。
卒業後はキリスト教の伝道師道師として各地をまわり布教活動をしながら作品を書きました。萩原朔太郎、室生犀星らと「にんぎょ詩社」を設立して機関誌「卓水噴水」を発行。
晩年は結核のため伝道活動を休止し、大正13年(1924年)40歳で亡くなりました。
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