竹内浩三の詩「夜通し風がふいていた」を読みました。青空文庫で読めます →図書カード:夜通し風がふいていた
底本 『竹内浩三全作品集 日本がみえない』(藤原書店・2001年)
竹内浩三は1921年(大正10年)三重県生まれの詩人です。1940年に日本大学専門部映画学科に学び、1942年中学時代の仲間と「伊勢文学」を創刊しました。日大を卒業後に入営して、1945年フィリピンのルソン島で戦死しました。
入営中に書かれた日記「筑波日記」に残された詩が、遺稿として伊勢文学に発表されました。
夜通し風がふいていた
竹内浩三
上衣のボタンもかけずに
厠(かわや)へつっ走って行った
厠のまん中に
くさったリンゴみたいな電灯が一つ
まっ黒な兵舎の中では
兵隊たちが
あたまから毛布をかむって
夢もみずにねむっているのだ
くらやみの中で
まじめくさった目をみひらいている
やつもいるのだ
東の方が白 んできて
細い月がのぼっていた
風に夜どおしみがかれた星は
だんだん小さくなって
光をうしなってゆく
たちどまって空をあおいで
空からなにか来そうな気で
まってたけれども
なんにもくるはずもなかった
詩人は津市の陸軍部隊に入営。その後、筑波の部隊に配属されたとのことです。入営中の夜のようすが描かれています。
開けた平地に兵舎が建てられていて、冷たい風が吹き、まわりの砂埃を吹き上げていたのかもしれません。
明かりはなく、トイレの真ん中にボツンと電球があるだけ。「くさったリンゴみたいな」と形容されている電球は、シワシワに歪んだ傘がついて、汚れた電球が想像されました。
大学を卒業したばかりの若者ですから、23~24歳くらいでしょうか、将来の夢も希望も、理想もあったはずの若者たちは、真っ暗な営舎の中で、カーキ色に囲まれた寝床の中で息を潜めていたのです。
日々の訓練の疲れで泥のように眠りこけている若者、寝つけずに暗闇の中でただひたすらに闇を見つめている若者。
夜が明けたら、また否応なしに戦争で敵を殺す訓練をしなくてはならない。やがて戦地へ赴いて、殺さなければ自分が死ぬ。そして、自分が死ぬことで祖国や家族を守る。なんと、切実な状況でしょうか。
トイレに立った詩人は、白みはじめた空を仰ぎながら、「何か来そうな気」がして待っていました。
何が来そうだと考えたのでしょうか、わかりませんが、なんとなく、来るはずのない助けを待っていたのかもしれないと思いました。もしくは、救いの手とか、そんな奇跡を。