くきはの余生

リタイアしてようやくのんびり暮らせるようになりました。目指すは心豊かな生活。還暦目前で患った病気のこと、日々の暮らしや趣味のことなどを綴っています。

いろは歌・ことばを駆使してあそぶ

いろは歌、全部言えますか? おそらく義務教育では習うことがないと思うので知らない人も多いのかもしれません。

私はいつ覚えたのか記憶にないのですが、一応唱えることができます。

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文献に残っている限りでは 平安時代頃に作られたのではないかとと言われています。 

作者は不明ですが、諸説あって、空海、柿本人麻呂、源高明などの名が上がっていますが、いずれも推定の域を得ないようです。 

 

いろはにほへと ちりぬるを

 わかよたれそ つねならむ

うゐのおくやま けふこえて

 あさきゆめみし ゑひもせす

 

色は匂へと 散りぬるを 

我が世誰ぞ 常ならむ

有為の奥山 今日越えて

 浅き夢見し 酔ひもせず

 歌の意味は、

 色とりどりに咲く花は匂っても、やがて散ってしまう

 この世で誰が変わらずにいられようか

この世の因縁によって起こるものごとを超えて

はかない夢を見たり、酔ったりはするまい

いろは歌は、仮名文字47文字を重複させずに組み合わせて使った歌です。

現在は小学校で最初に習うのは「あいうえお」の50音だと思いますが、昔は文字を学ぶ時のお手本として使われていました。

仏教の諸行無常の考え方が込められているとされていますが、なんとなく切なくて美しい調べです。

江戸時代の寺子屋などで庶民が学ぶ機会があったことから、当時の日本の識字率は世界有数だっただとも聞いたことがあります。

文字が読み書きできるというのは、文化的な生活を送るに当たって重要なことですから、読み書き入門であるいろは歌の役割は重要だったのではないかと思います。

いろは歌の謎

もう何十年も前のことになりますが、『いろは歌の謎』という本が話題になったことがありました。当時私も読んだのですが、いろは歌には暗号が隠されているという説です。

いろはにほへ

ちりぬるを

よたれそつね

らむうゐのお

やまけふこえ

あさきゆめみ

ゑひもせ

いろは歌を7音ずつに区切ると「とかなくてしす」(咎無くて死す)、つまり、罪が無くて死んで行くのだ、という意味が隠されているという説です。

当時、面白いと思って読んだはずなのですが、詳細はよくおぼえていません(汗)でも、古くからの伝説には、よくゾクッとするようなエピソードが隠れていることはありますから、色々想像してみるのも面白いですね。

ひらがなについて

日本語を表記するには、漢字と仮名を使いますが、ひらがなは、借字(万葉仮名)がルーツです。

例えば、安→あ 以→い 宇→う 衣→え 於→お。

中国語の漢字を日本語の音に当てはめて表記していた借字を、筆記体の1つの型である草書体として書いた形から、平安時代頃に作られました。

当時は公式文章や男性が書く文章は漢文で書かれることが一般的で、ひらがなは私的な文章や女性が使う文字でした。

ひらがなができたことで、源氏物語や枕草子などの女房文学が花咲いたとも言えます。

ちなみに、カタカナは、奈良時代の僧侶が漢文を訓読するために、漢字の一部を使って表記したのがはじまりだそうです。

 あめつち詞

 いろは歌と同じように、仮名文字48字を重複せずに作られた詞で、平安時代のはじめ頃に作られたとされています。

あめ つち ほし そら やま かは みね たに

くも きり むろ こけ ひと いぬ うへ すゑ

 ゆわ さる おふせよ えのえを なれゐて

 

 天 地 星 空 山 川 峰 谷

 雲 霧 室 苔 人 犬 上 末

 硫黄 猿 おふせよ えのえを なれゐて 

 ※ 「おふせよ えのえを なれゐて」については、よく意味がわかっていないようです。一説に「生ふせよ 榎の枝を 馴れ居て」とか。

国音の歌

明治時代に新聞社が募集した「国音の歌」(重複しないで48字を折り込んだ歌)で、第1位になった歌。埼玉県の坂本百次郎・作です。

 とりなくこゑす ゆめさませ

みよあけわたる ひんかしを

そらいろはえて おきつへに

ほふねむれゐぬ もやのうち

 

 鳥啼く声す 夢覚ませ

見よ明け渡る 東を

空色映えて 沖つ辺に

帆船群れゐぬ 靄の中

 ことばで遊ぶ

いろは歌も国音の歌も、日本人の遊び心を感じます。

音を重複しないように組み合わせたり、「とがなくてしす」のように暗号を隠したり、上から読んでも下から読んでも同じになる回文、謎かけや、しゃれ、さらには、最近の若者独特の省略語などに至っても遊び心満載です。

ことばを自由自在に駆使して遊ぶ、楽しめるというのは、教養のあらわれでもありますし、文化的な豊かさでもありますし、心のゆとりでもあるのかもしれません。