山之口貘の「喪のある景色」を読みました。
山之口貘詩集(1958年原書房)
青空文庫で読めます→図書カード:山之口貘詩集
山之内貘(1903年~ 1963年)は、沖縄県出身の詩人。仕事を転々とし、ホームレスのような生活をしながら197編の詩を書き4冊の詩集を残しました。佐藤春夫の小説『放浪三昧』は、彼をモデルにしていると言われています。
喪のある景色
山之口貘
うしろを振りむくと
親である
親のうしろがその親である
その親のそのまたうしろがまたその親の親であるといふやうに
親の親の親ばつかりが
むかしの奧へとつづいてゐる
まへを見ると
まへは子である
子のまへはその子である
その子のそのまたまへはそのまた子の子であるといふやうに
子の子の子の子の子ばつかりが
空の彼方へ消えいるやうに
未來の涯へとつづいてゐる
こんな景色のなかに
神のバトンが落ちてゐる
血に染まつた地球が落ちてゐる
山之口貘の詩は、感覚的にはすごく好きなのですが、詩人の言わんとすることを、理解できているかというと、私の手には余るというか、難しいです。
この詩は、延々と後に続いているご先祖、親たち、そして、自分の前に並んでいる子孫、子たち。絵画か映像のようにイメージが浮かんできます。
それを「喪のある景色」というタイトルにした意味。「喪」は、肉親や親しい人の死を悼み謹むことですが。ご先祖の死を土台にして命が続いているということなのでしょうか。
祖父母、曾祖父母から逆行して、猿人だった頃、トカゲだった頃、アメーバだった頃、そしてアミノ酸だった頃までも、今は亡きご先祖は続いている。
そして、自分もその中の一部となって、子や孫、ひ孫、まだ見ぬこれから生まれる命。ずっとずっと先の未来まで続いて行く、永遠の連鎖がある。
それが「神のバトン」なのだろうか。
「血に染まつた地球」とは何なのか、そのあたりが、私にはよくわからない部分です。
人どうしが血を流し合うことなのか、戦争か、それとも。別の何かなのか。
暗黒の宇宙空間に浮かんでいる、青い地球の上から、真っ赤な血が流れ落ち、何万という筋になって、したたり落ちている映像をイメージしてしまいました。