くきはの余生

リタイアしてようやくのんびり暮らせるようになりました。目指すは心豊かな生活。還暦目前で患った病気のこと、日々の暮らしや趣味のことなどを綴っています。

書 斎・与謝野晶子:知識を栄養に育つ力強い花

与謝野晶子の詩「書斎」を読みました。『与謝野晶子詩篇集』(実業之日本社1929年刊) より。青空文庫で読めます。→ 図書カード:晶子詩篇全集

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  与謝野晶子は878年(明治11年)大阪生まれの歌人、作家。20歳頃から雑誌に短歌を投稿しはじめ、歌会で与謝野鉄幹と出会い不倫関係になります。

鉄幹主宰の新詩社の詩友として雑誌「明星」に作品を発表。鉄幹と結婚後12人の子を産み、生活のため精力的に執筆活動を続けました。

女性の官能を大らかに歌い上げた 歌集『みだれ髪』、日露戦争に従軍した弟をうたった詩「君死にたもうことなかれ」等が有名です。

 

 

書 斎

        与謝野晶子

唯(た)だ一事(ひとこと)の知りたさに

彼(か)れを読み、其(そ)れを読み、

われ知らず夜(よ)を更かし、

取り散らす数数(かずかず)の書の

座を繞(めぐ)る古き巻巻(まきまき)。

客人(まらうど)よ、これを見たまへ、

秋の野の臥(ふ)す猪(ゐ)の床(とこ)の

萩(はぎ)の花とも。

 

 何か一つのことを知りたいと思って、あの本を読みこの本を読みして調べていたら、いつのまにか夜が更けてしまったという。すごく共感してしまった詩です。

今の時代なら、知りたいことを検索して、検索したことを、さらに調べたくなってさらに検索して……と、延々と繰り返してしまい、気がついたら夜中になっていたと。身に覚えがあります。

何時の時代も「知りたい」という欲求には限りがなく、与謝野晶子も、そうして知識を深めることを楽しんだ人なのでしょう。

 ハッと気がついたら、座っている自分のまわりに古い書物がぐるっと取り巻いていました。

書棚から次々に取り出した本が散らばっていて、自分でも呆れかえったのかもしれまません。

「客人(まらうど)よ、これを見たまへ、」とは、実際に客人がいたのではなく、我ながらその状態に呆れたのを嘆息しているという表現なのかなと受け取りました。

www.ebaragioba.info

「秋の野の臥(ふ)す猪(ゐ)の床(とこ)の 萩(はぎ)の花とも」これは、秋の野に寝ている猪の寝床に咲く萩の花のように、と読んでいいのでしょうか。

和泉式部の歌に下のような歌があります。

刈る藻かき 臥(ふ)す猪(い)の床(とこ)の 睡(い)をやすみ さこそ寝 ざらめ かからずもがな

訳・猪は枯れ葉を集めて寝床を作って、寝心地がいいので何日も寝ると言いますが、私はそのように眠れなくとも、少しでも眠れたらと思います。

晶子にとっては、書物に囲まれているのが、猪の寝床のように心地よい空間なのでしょう。

萩は晶子自身のことを指しているのでしょうか、書物の寝床の真ん中に咲く、小さくとも力強い花、知識という栄養に育てられる花なのでしょう。