くきはの余生

リタイアしてようやくのんびり暮らせるようになりました。目指すは心豊かな生活。還暦目前で患った病気のこと、日々の暮らしや趣味のことなどを綴っています。

汚れちまった悲しみに・中原中也:キラキラ光る幼い心が失ったもの

 

中原中也の「よごれちまった悲しみに」を読みました。

詩集『山羊の歌』に掲載されている一篇です。

『日本の名詩集第4集』 (電子ブック版)で読みました。青空文庫でも読めます →図書カード:山羊の歌

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 中原中也は1907年(明治40)年生まれの詩人。東京外国語学校(現・東京外国語大学) フランス語科に学び、ランボー詩集などの翻訳も手がけています。 

汚れちまった悲しみに…

 

         中原中也

 

汚れちまった悲しみに 

今日も小雪の降りかかる

汚れちまった悲しみに

今日も風さへ吹きすぎる

 

汚れちまった悲しみは

たとへば狐の革裘(かはごろも)

汚れちまった悲しみは

小雪のかかってちぢこまる

 

汚れちまった悲しみは

なにのぞむなくねがふなく

汚れちまった悲しみは

倦怠(けだい)のうちに死を夢む

 

汚れちまった悲しみに

いたいたしくも怖気(おぢけ)づき

汚れちまった悲しみに

なすところもなく日は暮れる…

 有名な詩です。流れるような、あるいは大きく波打つような動きのある言葉で、読み手の心の中にからみついてきます。

あまり細かい意味の解釈は必要がないような気がします。ただ、感じるままに受け止めればいいのだと思います。

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私が少女の頃に書いていた詩にも、よく「悲しい」とか「哀しい」ということばを使っていました。今思えば、本当の悲しみもまだ知ることもなかった幼い心に、悲しみはなんとなく美しく純粋なものような気がしていたのです。

中原中也の表現したい悲しみもまた、世俗にまみれた大人の悲しみとは違うような気がします。幼心の水晶のように光るイメージ、少年の頃の純粋な心が、大人になって汚れてしまったと感じたのかもしれません。