中原中也の「よごれちまった悲しみに」を読みました。
詩集『山羊の歌』に掲載されている一篇です。
『日本の名詩集第4集』 (電子ブック版)で読みました。青空文庫でも読めます →図書カード:山羊の歌
中原中也は1907年(明治40)年生まれの詩人。東京外国語学校(現・東京外国語大学) フランス語科に学び、ランボー詩集などの翻訳も手がけています。
汚れちまった悲しみに…
中原中也
汚れちまった悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れちまった悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる
汚れちまった悲しみは
たとへば狐の革裘(かはごろも)
汚れちまった悲しみは
小雪のかかってちぢこまる
汚れちまった悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れちまった悲しみは
倦怠(けだい)のうちに死を夢む
汚れちまった悲しみに
いたいたしくも怖気(おぢけ)づき
汚れちまった悲しみに
なすところもなく日は暮れる…
有名な詩です。流れるような、あるいは大きく波打つような動きのある言葉で、読み手の心の中にからみついてきます。
あまり細かい意味の解釈は必要がないような気がします。ただ、感じるままに受け止めればいいのだと思います。
私が少女の頃に書いていた詩にも、よく「悲しい」とか「哀しい」ということばを使っていました。今思えば、本当の悲しみもまだ知ることもなかった幼い心に、悲しみはなんとなく美しく純粋なものような気がしていたのです。
中原中也の表現したい悲しみもまた、世俗にまみれた大人の悲しみとは違うような気がします。幼心の水晶のように光るイメージ、少年の頃の純粋な心が、大人になって汚れてしまったと感じたのかもしれません。