くきはの余生

リタイアしてようやくのんびり暮らせるようになりました。目指すは心豊かな生活。還暦目前で患った病気のこと、日々の暮らしや趣味のことなどを綴っています。

手術の準備と年末の一時退院:病気の話6

産婦人科の病棟に移ってからも、血糖の調整は続きました。インシュリンの投与はもちろん、薬剤師さんからの薬剤についての説明、管理栄養士さんからの栄養指導も受けのました。

血糖調整を続けながら、ふと気がついたのですけれど、糖尿病の治療は、病気そのものを治療するというよりは、血糖値をコントロールすることなのですね。 

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遺伝的な原因がある1型と、生活習慣が原因となる2型があるそうですけれど、一度発症してしまったら、一生のお付き合いになります。

 これまで、他人事のように軽く考えていた糖尿病が、突近に迫ってきたので、これからは、ちゃんと知識を仕入れて、生活習慣を正していかなければと思います。

 血糖調整と同時に新年早々1月4日に決まった手術の準備もはじまりました。手術についての説明を受けたり、各種検査をしたり、血液検査の結果で血が薄いと言われたので、鉄剤の点滴もはじまりました。

それと、大変だったのはお通じ。もともと便秘気味だったのもあって、代謝内科病棟にいる時は、5日間も便秘していて、そのせいか5Kgも体重が増えてしまっていました。病院で出る食事以外は食べていないのに、入院して太るなんて、私くらいかもしれませんね(笑)

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婦人科病棟では、毎日お通じがあったかどうかにこだわりました。全身麻酔の手術をするので、腸内を空っぽにする必要があるのですね。それで、お通じがない時は、酸化マグネシウムという便をやわらかくするお薬、2日間出ない時には下剤。自己調節で飲むようになっていました。

お通じについては、後で改めて書くかもしれませんが、お薬で調整するのは結構……いえ、私にはかなり大変でした。色々とありましたが、5日間の便秘は無事に解消。5kg増えた体重はもとに戻って、さらにマイナス5kgとなっていました。

最初の予定だった20日間の入院期間が過ぎて、主治医から12月28日に退院の許可が下りました。

またすぐに、年が明けたら1月2日の午後に再入院、そして4日には手術が待っています。それでも、20日ぶりの我が家は嬉しかったです。

20日ぶりの我が家

20日間、夫が良くやってくれていました。洗濯に掃除、私より神経質な人なので、大雑把な:私がするよりずっと整っていました。食事はスーパーで買ったお総菜だったようですけれど、ご飯を炊くのを覚えたとのことで、得意そうに「飯は炊いてあるぞ」と言っていました。

母は私が入院していることを覚えていられないので、毎日のようにどこへ行っているのか夫に聞いていたそうですが、実際に私が戻れば、いつもと変わらず。ずっと私が居たかのような態度でした。

下着(リハビリパンツ)が汚れていても、嫌がってなかなか着替えてくれない母の世話まで夫がしてくれていたので、ホントに有り難いと思いました。

20日間の病院生活で、私の体力はかなり落ちていました。二階の自室に上がるには15段の階段があるのですけれど、数段上がると疲れて座り込むありさま。自宅での数日間でだいぶ回復はしてきましたが、率先して家事ができる状態ではありませんでした。

それでも、年末年始の数日間はのんびり過ごせました。(→病気話の7へ)