岡本かの子の「山茶花」を読みました。
青空文庫で読めます。 →図書カード:山茶花 底本は『愛よ、愛』(1999年パサージュ叢書・メタローグ)
岡本かの子(1990-19939)は、日本の小説家、歌人、仏教研究家です。
少女の頃から和歌を詠んで新聞の文芸欄などに投稿していました。17歳で与謝野晶子に師事し、雑紙「明星」「スバル」に作品を投稿しました。小説家となったのは晩年です。
跡見女学校卒業後、漫画家の岡本一平と結婚しました。長男は画家の岡本太郎。夫の放蕩や、二人の強い個性がぶつかり合って結婚生活は破綻していて、互いの了解のもとで恋人と同居生活をしたり、奇妙な結婚生活を送ります。
山茶花
岡本かの子
ひとの世の男女の
行ひを捨てて五年夫ならぬ夫と共に棲(す)み
今年また庭のさざんくわ
夫ならぬ夫とならびて
眺め居(ゐ)る庭のさざんくわ
夫ならぬ夫にあれど
ひとたびは夫にてありし
つまなりしその昔より
つまならぬ今の語らひ
浄(きよ)くしてあはれはふかし
今年また庭のさざんくわ
ならび居て二人ながむる。
岡本かの子と言うと、奔放で大胆な女性というイメージがありましたが、やはり波瀾万丈な人生を歩んだようです。
この詩に書かれているのは、「夫ならぬ夫」。夫との奇妙な関係を詠っています。
夫の岡本一平とうまくいかなくなったのは、夫の放蕩が大きな理由のようですが、親や親戚との確執など複数の原因があったようです。
明治大正時代は、今以上に家との結びつきが大きく、親親族に気に入られない嫁は苦労したであろうことはよくわかります。
やがて、夫にも愛人がいて、かの子にも若い愛人ができ、夫の了解を得て同棲を始めるという状況にもなります。「夫ならぬ夫」という関係は、そういう状態を指しているのでしょう。
それでも離婚することなく、5年も一緒に住み、ともに並んで庭の山茶花を眺めている。夫婦とは不思議なものだと感じます。
詩は生々しい感情ではなく、他人事のように淡々と書かれています。もはや愛憎を超えてしまって、同志のような関係なのかなと想像しました。
二人とも心の平安を宗教に求め、親鸞の『歎異抄』に感化されて仏教研究をはじめたと聞きます。
仏教によってなだめられた激しい心が、客観的に自分たち夫婦を眺めているのかもしれませんね。