くきはの余生

60歳目前に患った卵巣がんと糖尿病についての覚え書き。これからの人生を心豊かに暮らすための活動記録

幼なじみの死

幼なじみで同級生のショーちゃんが亡くなりました。突然の知らせに、ショックで、しばらく茫然としてしまいました。

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 60歳ともなると、同級生の訃報がちらほら届くようになって、寂しくなります。 

  

ショーちゃんは、ご近所に住んでいる男の子で、母親同士が親しかったため、幼稚園くらいまでは毎日のように一緒に遊んでいました。

小学校、中学校は同じでしたけれど、それぞれの友人関係が違って、一緒に話すこともなくなり、高校からは学校が違ったため、お互いほとんど顔を合わせることもなくなっていました。

たまに噂話で消息を聞くことはありましたけれど、ほんの数分の距離に住んでいるのに、高校以降で顔を合わせたのは、これまで3~4回かもしれません。

お葬式は家族葬でして、御霊前やご仏前も受け取らないということでしたので、お葬式の前にご自宅にうかがってご焼香だけさせていただいてきました。

ご自宅には、ショーちゃんのお母様だけが一人で居て、ご焼香の後で久しぶりにお話をしました。

ショーちゃんのお父さんは、私の父が亡くなった後すぐに病気で亡くなっていて、今は。母親と弟のマー君と3人暮らしです。

弟のマー君が仕事に出ている間、痩せたお母さんがひとりでショーちゃんの棺を守っていたのが、なんとも言えなくて、切なくなりました。

ショーちゃんは、15年間、うつ病で苦しんでいたのだそうです。うつ病なのは聞いていましたけれど、病気について詳しいことは知りませんでしたし、重篤になると、食べ物が喉を通らなくなってしまうなど、生命の危機に至るほどとは知りませんでした。

ここ2~3年は色々な病院を転々として入院しつづけていたそうです。

 お母さんが、どれほど心を痛め苦労をされたかは想像もできません。それでも、子供の頃からの気心知れていることからか、落ち着いた口調でとつとつとショーちゃんの事を語ってくれました。

少しだけのつもりが、気がついたら1時間以上もお邪魔してしまっていました。

私がショーちゃんと最後に会ったのは、4~5年前でしょうか、私が地域の役員をしていて、町会費集めに歩いていた時、向こうから歩いてきたショーちゃんとご自宅の近くで偶然会いました。

「Kちゃん、こんにちは」と、幼い頃の呼び名で、明るい声で呼びかけられて、「あら、ショーちゃん散歩?」と答えたのを覚えています。

その時は、うつ病というのは聞いていましたけれど、呼びかけられた声があまりに明るかったので、病気が良くなっているのだなと、安心したのですけれど。

ある意味、ショーちゃんの明るい声が最後に残っているのは、私にとっては嬉しいことなのかもしれません。

ショーちゃんの心が、あの世で、色々なことから解放されて、明るく幸せな気持ちになれますように、願ってやみません。

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