千家元麿の「飯」を読みました。初出は詩集『自分は見た』(1918年玄文社)
青空文庫で読めます。→ 青空文庫図書カードNo. 48569 底本『日本現代文学全集54千家元麿・山村暮鳥・佐藤惣之助・福士幸次郎・堀口大學集』(講談社)
千家元麿(1888-1948)は、出雲大社宮司で貴族院議員の千家尊福(せんげたかとみ)の庶子として、画家の小川梅崖との間にまれました。
武者小路実篤の弟子として雑誌「テラコッタ」「麦」などを創刊、詩作を続けました。
飯
千家元麿
君は知ってゐるか
全力で働いて頭の疲れたあとで飯を食ふ喜びを
赤ん坊が乳を呑む時、涙ぐむやうに
冷たい飯を頬張ると
餘りのうまさに自ら笑ひが頬を崩し
目に涙が浮かぶのを知ってゐるか
うまいものを食ぶ喜びを知っているか、
全身で働いたあとで飯を食ふ喜び
自分は心から感謝する。
甘い、しょっぱい、酸っぱい、熱い、冷たい。味が無い……年取って子供に返りつつある母は、食事を一口食べた後に必ず文句を言います(笑)
老齢のため味覚が変化しているのかもしれません、それとも、私の味覚がおかしいのかな? 少しでも美味しく食べて欲しいと作った食事に、毎回クレームがつくので内心ガッカリします。
なぜ文句が出るかと考えた時、実際に味が気に入らないこともあるでしょうけれど、それ以前に「お腹が空いていない」のが第一の問題なんだと思うのです。
ほぼ一日をテレビを見て過ごす老人のこと。ちょっとお腹が空けば、お茶を飲んだりお茶菓子を食べたりしますから、キリキリ胃が痛むような空腹になる暇がないのです。
それは、私自身も同じです。今の時代、家事はボタンひとつで簡単になって、重労働することはなくなりました。仕事で疲れ切って、空っぽのお腹にご飯を掻き込むことなどありません。
一日3回、食べることが当たり前で、食事を作っている私本人さえ、ご飯のおいしさに感動することが無くなっていたのです。
この詩を読んでハッとしました。
しっかり働いて快い汗を流した後、夕飯のおかずは何かなとワクワクしながら帰宅。お腹ペコペコでようやくご飯を口に入れたときのおいしさ、感動。もう長いこと忘れていました。贅沢な話です。
ホカホカのご飯とお味噌汁。お漬け物があれば。基本的にはそれでじゅうぶんに満たされます。
健康な体を維持するには、バランスの良い食事は必要ですけれど、満腹状態に馴れすぎてしまうと、ご飯の本当のおいしさがわからなくなってしまうのですね。
美味しいご飯をを食べるためには、仕事や運動した後の快い疲れと空腹、そして、安らげる食卓が必要なのです。