蔵原伸二郎の「孫娘とふたりで」を読みました。「五月の雉」の中の一篇です。底本『近代浪漫派文庫 29 大木惇夫 蔵原伸二郎』(新学社)より。青空文庫で読めます→図書カード:五月の雉
蔵原伸二郎(1899~ 1965年は、熊本県出身の詩人で作家。評論家でもあります。母親は北里柴三郎の妹に当たるそうです。
学生時代に『三田文学』『コギト』に作品を投稿。仲間達と同人誌『雄鶏』を創刊しました。詩集『東洋の満月』岩魚』他。
孫娘とふたりで
蔵原伸二郎
あかるすぎる九月の夕暮
だれもいない丘の石に
二人はこしかけていた
ぼくが何を考えているかも しらない孫娘は
はしやいだ声でいつた
「おじいちやんの髪の毛 雲みたい」
その時 ぼくは ばくぜんと
「死」について考えていたのだ
なるほど 丘のむこう 暮れなずむ
とき色の空に
白髪のような雲がひとかたまり
光つていた
丘の上に座っている、孫娘と祖父。
孫娘は無邪気に、今を楽しんでいて、祖父は漠然と、未来の死を考えている。そんな対比が感じられる詩です。
孫娘の過去はわずかしかなくて、未来は遙か彼方まで広がっている。一方、祖父はたくさんの過去を持っていて、未来は少なくなっている。
この一時期、孫娘と祖父の今が重なって、こうして一緒に生きている不思議を感じました。
もしかすると、いつか、孫娘は成長して、この丘へ登る日くるかもしれません。その時は、傍らに伴侶が一緒かもしれません。
丘の上で、雲を見上げて、「おじいちゃんの髪みたいな雲だった」と、思い出すかもしれません。
さらに時が過ぎ、孫娘の過去が増えて、未来が少なくなって来たとき、彼女もまた、孫と一緒に丘の上に座っているかもしれません。
丘の上の風景は変わらないけれど、そこに座る人の姿は、時とともに変わって行く。
そんなことを、勝手に想像して読みました。