万葉集 の巻頭歌、第21代、雄略天皇の歌です。
雄略天皇は日本の第21代の天皇。5世紀後半頃の日本は、地方の権力者がそれぞれに治めていましたが、 雄略天皇が力で制圧してまとめ、大和の国の権力を高めたと言われています。
泊瀬(はつせ)の朝倉の宮に天(あめ)の下知らしめす天皇(すめらみこと)の代(みよ)大泊瀬稚武天皇(おおはつせわかたけのすめらみこと)
天皇の御製歌
籠(こ)もよ み籠持ち 堀串(ふくし)もよ み堀串もち この岡に 菜摘ます子 家告(の)らせ 名告らさね
そらみつ 大和(やまと)の国は おしなべて 我れこそ居(を)れ しきなべて 我れこそ居(あ)れ 我こそば告らめ 家をも名をも
原文は、万葉仮名で表記されています。
泊瀬の朝倉の宮に天下をお治めになる天皇の御代、大泊瀬稚武天皇
天皇がお詠みになった歌
籠よ、きれいな籠を持ち、へらよ、きれいなへらを持ち、この丘で若菜を摘む娘さん。
あなたの家を教えてよ。名を名のってよ。
そらみつ大和の国はすべて我が治めているのだ、隅々まで我の国なのだ。
そんな我に、名のってくれるね、あなたの家も、名も。
万葉集の一番最初の歌ということで、古文の教科書にも取り上げられたりもしているので、知っているひとも多いと思います。
大泊瀬稚武天皇天皇とは、雄略天皇のこと。ただ、実際に雄略天皇が作った歌なのかは、どうなんだろうという気もします。
大和の丘で、若菜を摘んでいるきれいな娘を見初めて、妻問い、つまりプロポーズするという歌です。
現代でいうならば、野外フェスで踊っている可愛い子を見てナンパすると言うような感じでしょうか。
天皇の歌にしては、けっこう軽い(笑) 初期日本の大らかな時代だったのかもしれませんが。
農耕のときに作業しながら口ずさむような世俗歌だったか? という説もあるようです。
でも、日本書記には、通りかかった権力者が、道端にいた村娘を見初めて、妻にするというようなエピソードもあったので、そういうシンデレラ・ストーリーもあったのかもしれませんね。
若菜摘みは、歳時記では、春の七草を摘む新年の行事なのですが、旧正月にしても、まだ寒いようなきがします。
個人的には、なんとなく、春分の日が過ぎて、少し暖かくなって来た早春の丘を想像しました。
まだ少し肌寒いけれど、晴れてのどかな午前中。菜摘みをする乙女たち。春の気配に誘われて、開放的になっているのでしょう。
緑一面の丘のあちこちに、色とりどりの衣装が見え隠れして、花が咲いたかのようなキラキラした景色が見えます。
天皇の目が届くところでの行事なら、娘たちはそれほど身分が低いわけではないのかもしれません。
昔の日本では、「名前を尋ねる」ことは、結婚の申し込みを意味します。
普通、親や夫以外で女性の本名を呼ぶことはなく、「○○○の娘」「○○○の女」「○○○の母」など、保護者の役職名などで呼ばれました。
そのため、他人に本名を教えるということは、その人の庇護下に入るという意味になります。
「そらみつ 大和の国は」の「そらみつ」は、大和に掛かる係言葉。定型句のようなものです。
後半の歌、「大和の国は おしなべて 我れこそ居れ しきなべて 我れこそ居れ」の部分は、さすが最高権力者、自信満々に自分の存在を誇示していますが。
これが実際にご本人が読んだ歌であれば、孔雀が羽を広げてアピールするような、鶴が求婚のダンスを踊るような、俺様一番と胸を張っている姿が想像できて、可愛らしさを感じてしまいます。