源氏物語10回目、桐壺の9回目です。
長く間があいてしまいましたが、のんびりと読み進めています。
帝のお使いの靫負命婦が故・桐壺の更衣の母君の屋敷に到着したところからです。
命婦かしこにまかでつきて、かど引き入るるよりけはいあはれなり。
やもめずみなれど人ひとりの御かしづきに、とかくつくろいたてて、めやすき程にて過ぐし給ひつる、やみにくれて伏し沈み給へるほどに、草も高くなり、野分にいとど荒れたるここちして、月かげばかりぞ、やへむぐらにも障らずさし入りたる。
南面(みなみおもて)におろして、はは君もとみにえ物も宣はず。
(母君)「今までとまり侍るがいと憂きを、かかる御ひの、よもぎふの露わけいり給ふにつけても、いと恥づかしうなむ」とて、げにえ堪ふまじく、泣い給ふ。
(命婦)「『まゐりてはいとど心苦しう、心ぎもも尽くるやうになむ』と、内侍のすけの奏し給ひしを、もの思う給へ知らぬここちにも、げにこそいとしのびがたう侍りけれ」とて、ややためらひて、仰せこと伝え聞ゆ。
命婦はあちら(桐壺の更衣の母君の屋敷)に到着しまして、門を入った途端、しみじみと哀れ深いようすでした。
未亡人の暮らしではありましたけれど、大切な娘一人をお世話するために、あれこれと屋敷の手入れをして見苦しくないようにして暮らされていたものですが、悲しみに
暮れて伏しておられたうちに、庭の草も高く茂って、嵐のためにさらに荒れたごようすで、月影だけが八重葎にも遮られずに差し込んでいました。
屋敷の南側に腰を下ろして、母君はすぐにはお言葉をおっしゃることができません。
母君は「(娘が亡くなって)いままで生きて残っているのが辛いにもかかわらず、帝のお使いが、このような草深い屋敷にお訪ねくださるのも、恥ずかしゅうございます」と言って、とても耐えられないほどにお泣きになります。
命婦は、『こちらに参りましたところ、とてもお気の毒で、心魂が消えてしまいそうでした』と、内侍の典が帝に申し上げましたが、ものの情趣のわからない私でも、本当に忍びがたい事ですと言って、少しためらいつつ、帝からの御伝言を申し上げました。
帝の使者として桐壺の更衣の母君を訪ねた靫負命婦と、母君のやりとりの場面です。
娘が生きていた頃は、よそ様からあなどられないように、屋敷の手入れにも気を配っていましたが、娘を失った悲しみに沈んでいるうちに、庭が丈高い草が生えて荒れてしまっていました。
母君の深い悲しみが感じられる、荒れた屋敷の描写が美しいと思いました。
母君は荒れさせてしまった屋敷に帝の使者を招くのは恥ずかしいと恐縮していて、命婦は、内侍のすけが言っていたことが本当だったと、母君の悲しみに共感しています。
「もの思う給へ知らぬここちにも」ものの情趣のわからない私でもmというくだりは、命婦の謙遜です。
恥じ入ったり、謙遜したりというのは、この頃から、今に至るまで日本人の中にあるの奥ゆかしさなのでしょうか。うまく人間関係を繋いでいくための社交術であったのかもしれません。
ここで話題に出ている「内侍のすけ」は、内侍司 (ないしのつかさ) の次官に当たる女官です。
帝の近くで仕事を補佐したりする役目ですが、長官にあたる内侍(ないし)が帝のお妃になることが多く、実務を担っていたのが内侍のすけでした。
「内侍のすけの奏し給ひしを」のところは、ゆげいの命婦以前にお使いに立ったのが、内侍のすけなのでしょう。その時に、帝に報告した内容を、命婦が聞いたことを語っています。