源氏物語の更新は久しぶりになりました。このペースでいくと、10年間で源氏物語全巻読了は難しかもしれません・・・
実際には、もう少し先まで読み終えているのですが、ブログ記事を書くのは、意外に時間がかかって、つい後回しになってしまっています。
気を取り直して、 桐壺の8回目。桐壺の更衣が亡くなった後の帝の姿です。
野分だちて、にはかに肌寒き夕暮れのほど、つねよりもおぼしいづること多くて、ゆげひの命婦といふを遣はす。
夕月夜のをかしきほどに出だし立てさせ給ひて、やがてながめおはします。
かうやうの折りは、御あそびなどさせ給ひしに、心ことなる物の音をかき鳴らし、はかなく聞こえいづる言の葉も、人よりは異なりしけはひかたちの、面影につと添いておぼさるるにも、やみのうつつにはなほ劣りけり。
台風めいて急に肌寒くなった夕暮れの頃、(帝は)いつもより(亡くなった桐壺の更衣を)思い出されることが多くて、靫負命婦(ゆげいのみょうぶ)という者を(桐壺の更衣の母のいる家へ)お遣わしになられました。
夕刻に出る月のうつくしい頃に出立させられて、やがて、そのまま眺めて物思いにふけっていらっしゃいます。
このような折には、管弦の遊びなどをさせなさったものですが、(亡き桐壺の更衣は)とりわけ優れた音を奏されて、かすかに聞こえるようなちょっとしたお言葉も、他の妃とは異なる雰囲気や、顔かたちが、面影として(帝に)寄り添うように思い出されるにつけて、闇のなかの現実には、なお及ばないのでした。
高校生の時、美しい文章だからと暗唱するように宿題が出た場面です。古文の先生の言葉が印象的だったので、今でも覚えています。
「野分(のわき)」は、今で言う台風のこと。台風めいて急に空模様が悪くなって来た夕方のこと。
帝は部屋の簾を上げて、庭の様子を眺めでいるのでしょう。 あたりが暗くなって、風が強くなり、庭の木々がザワザワしていたかもしれません。
少し恐ろしいような、心ぼそいようなあたりのようすに、いつもより強く、今は亡き愛しい人を思い出して、靫負命婦(ゆげいのみょうぶ)を桐壺の更衣の母君の元へ行かせたのでした。
帝も母君も、大切な人を亡くしたという意味で、共通の思いを持っていますから、お見舞いという形で共感することで、心を慰めたかったのでしょう。
夕方の月が美しい頃に靫負命婦を出立させて、やがてそのまま庭を眺めながら、物思いにふけっていらっしゃるのでした。
野分めいているのに、空に月が出ているということもあるのでしょうか、と、無粋なことは考えないことにして、帝の更衣を忘れられない気持ちが描かれています。
できることなら、母君と直接話したいと思ったかもしれませんが、立場上そういうわけにも行かないので、代理の使者を送ったのですね。
命婦は、従五位以上の身分をもつ女性、または、官吏の妻の立場をあらわす女性です。平安時代には、中臈の女房のことを差すようになり、父親か、兄、または夫の官職を添えて呼ばれました。
靫負は衛門府(えもんのふ)の別の言い方で、護衛にあたる役人のこと。
つまり靫負命婦は、父親か、兄、または夫が靫負の司(つかさ)である女性ということになります。
「このような折には」のあとは、帝の物思いの内容が語られています。
このような物寂しい時には、いつもなら管弦を演奏させて賑やかに過ごしたのでしょうけれど、亡き人を偲んでいる今は、そんな気力もなくて、当時の更衣の姿を思い出しています。
「やみのうつつにはなほ劣りけり」のやみのうつつは、古今集の歌『うばたまの闇のうつつは さだかなる夢にいくらもまさらざりけり』から取ったものです。
古今集の歌は、昨夜の闇の中での逢瀬は、はっきりとした夢のなかでの逢瀬に勝っていない、つまり夢の方がまだマシだと言っているのですが、対して、帝の気持ちは「なほ劣りけり」、やっぱり夢の方が劣るというもの。現実の更衣のほうが良いというものでした。