思い立って、昨年2月頃から家の断捨離を続けています。
田舎の一戸建て住宅で、祖父母の時代、父母の時代からため込んだモノがギッシリ詰まっていました。
私自身、ナマケモノで部屋が散らかっていても頓着しない性格。断捨離を決意していなければ、ずっとずっと、死ぬまでモノがあふれて雑然とした家で暮らしていたでしょう。
私達夫婦は子供に恵まれなかったので、最終的には夫と私の夫婦二人になり、どちらかが先にいなくなります。一人残されたとき、この家の中にあるたくさんのものはどうするのか? さらに、二人とも居なくなったときに、このものが詰まった家は誰が片付けるのか?
そう考えたら、さすがのナマケモノの私も、行動を起こさずにはいられませんでした。
これまで1年半以上モノを捨て続けて来ても、3代前から溜まっていたものは少なくなっていなくて、理想としたシンプルな生活にはまだまだです。
それでも、モノが少なくなった部屋は、お掃除や片付けが楽になってきました。加えて、なんだか気持ちにも余裕がでてきた気がします。
上手に片付けられなくて雑然としている部屋は居心地が悪いですし、気軽に知人を家に上げられません。散らかっていることを知られたくないという見栄もありました。
そのことで気持ちが落ち着かず身構えていたのかもしれないなと思います。
やはり、家の散らかり具合と、気持ちとは連動しているのかもしれませんね。
少しずつですが部屋が整ってくると、気持ちに余裕が生まれました。自分の心を満たして充実させるために、何かはじめたいと思ったのです。
それが「詩を読む」ということでした。
きっかけは、私の師匠と言える方が読んでいるととうかがったことでしたが、実際に読んでみると、これまで感じたことのない世界が開けてきたような気がするのです。
実のところ、詩を読んであれこれ考えても、実用として何かの役に立つことはありません。
それに、日常の中で知人に「私、詩を読んでるの」なんて、ちょっと気恥ずかしくて言えません。(なぜかブログでは平気で言えちゃいますが)
何だか良くはわかりませんが、特に役に立たなくても、誰かに公言することがなくても、詩を読むことで心が満たされるなら、私にとっては何か意味があるのではないかと思うのです。
そして、そういう気持ちになってきたのは、断捨離をしてモノを減らし、雑然としていた部屋が整ってきたからかもしれないと感じます。
断捨離をはじめたのは、自分の心を豊かにするためではありませんでしたが、結果として、気持ちに余裕が生まれ、充実感や満足感が感じられるようになれたのです。
なんとなく気持ちが集中せずスッキリしない時には、身の回りの散らかりを解消してみると良いかもしれません。
私のように大がかりな断捨離ではなくても、机の周りのいらないものを捨ててみるとか、ゴミ箱をカラッポにしてみるとか、小さな行動を起こすことで、気持ちの整理もできてくるかもしれませんね。