くきはの余生

リタイアしてようやくのんびり暮らせるようになりました。目指すは心豊かな生活。還暦目前で患った病気のこと、日々の暮らしや趣味のことなどを綴っています。

しなきゃ、しなきゃで自分の首を絞めていたかもしれない

私がとらわれていた「しなきゃ」というテーマ。ズキッと胸に響きますね。

朝早く起きなきゃ。学校へ行かなきゃ、真面目に勉強しなくちゃ、苦手な運動もしなくちゃ、宿題やらなくちゃ、お手伝いしなきゃ、お菓子よりご飯食べなきゃ、お風呂はいらなきゃ、歯を磨かなきゃ…… 受験勉強しなきゃ、進学しなきゃ、良い成績取らなきゃ……就職しなきゃ、お金を稼がなきゃ、結婚しなきゃ、子供を産まなきゃ、親の介護をしなきゃ……

 

書いていると、ブログ何記事分もの「しなきゃ」が吐き出されてきます。

平凡な生活をしてきた私ですが、考えてみると、こんなにも「しなきゃ」に囚われていたのだなと思います。

もちろん、生活する上で、人間としての最低限度のしなきゃは必要ですが、さほど拘らなくていいものまでを、自分の中に縛り付けて「しなきゃ」と考えていたところもあります。

還暦を目の前にした頃、私が病気になる前は「私は病気になんかならない、なれない」と気負っていたところがあります。

私が倒れたら、誰が祖父母の面倒を見るのだ、父母の面倒を見るのだ、私しかいないじゃないかと、多少体調が悪いのを自覚していても、気づかないふりをしていたところがありました。

「私がしなきゃ」でした。

でも、そんな考えが積もり積もって、体調管理をおざなりにした結果、病気にもつながりましたし、夫に世話をかけることにもなりました。

それで、考えたことは、私がやらなかったら、家族が助けてくれるんだということ。

外部の人はなかなか手が出しにくいですけれど、私の場合は、夫だけでしたけれど、家族が多ければ、それだけ手も多いかもしれません。

私がいないなら、いないなりに生活が成り立っていくのだなということを感じました。

そして、どうしてあれほどまでに気負っていたのかと、力が抜けました。

回復した現在は、家事の多くは夫が担当してくれていて、私の出る幕があまりなくなり、のんきに過ごせていますし。一番の悩みだった認知症の母も、老人ケア施設で楽しそうに暮らしているし、まわりの人に助けていただくことで、精神的にも楽になっているように思います。

助けてくださる方々に感謝しつつ、残りの人生を楽しもうと思っています。

 

私がとらわれていた「しなきゃ」