くきはの余生

リタイアしてようやくのんびり暮らせるようになりました。目指すは心豊かな生活。還暦目前で患った病気のこと、日々の暮らしや趣味のことなどを綴っています。

何か欠けている方が、うまく生きられるような気がする

今週のお題「かける」

今週のお題も難航しました。

掛ける、掛ける、駆ける、掻ける、欠ける……なかなか書けなくて(笑)

そうしているうちに、ふと思い浮かんだのが、この歌。

この世をば我が世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば

 

 

藤原道長が我が世の春を読んだと言われる歌です。

実は、この歌、定説と違う新しい解釈もあるみたいですけれどね。

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道長は藤原兼家の五男で、もともと政治的に権力者になれるような立場ではありませんでした。それが、兄が亡くなり、政敵を失脚させ、娘三人を三人の天皇の妻にして、最高権力者に成り上がりました。

この歌は、道長の三女 威子(いし)が、後一条天皇の皇后に立ったことの祝いの席で読まれたと言われています。

でも、頂点に上り詰めれば、あとは落ちるだけ。完全無欠を維持することは困難で、どこかで綻びがうまれる。

私個人的には、どこか欠けているところがあった方が、うまく生きられるような気がしています。

私は結婚しても子孫を残すことができませんでした。

まあ、あまり努力しなかったのもあるのですが(笑)

当時はたまに、他人から子供がいないことを指摘されて、どう答えればいいのか困ったこともありました。

悩んだというほどのこともありませんでしたけれど、気持ちを切り替える時に、よく自分に言い聞かせていたことがあります。

伴侶も得て、祖父母や父母、妹と家族との関係も良好で、不満がない。自由に好きなことをして暮らしていられる。

それに加えて子供がいればパーフェクトだけれど、今の幸福を維持するためには、欠けているものがあることが必要なのだ、と。

誰でもみんな完璧な生活なんて無いのだと思います。多かれ少なかれ足りないものがあって、それを求めながら、あるいは補いながら、あるいは諦めながら暮らしているのかもしれないと思います。

道長が、「この世をは」の歌を読んだ宴は、寛仁2年(1018年)10月16日で、15日の満月の日の一日後だったそうです。

娘三人が皇后になったことを「満月」と例えたらしいですが、満月を過ぎて、少しだけ欠けた十六夜(いざよい)に詠んだ歌でした。

藤原氏の春もやがて移ろって行きました。