立原道造の「のちのおもひに」を読みました。
青空文庫で公開されている一篇です。→青空文庫 立原道造作品リストNO.11
初出は詩集『萱草(わすれなぐさ)に寄す』(1937年自費出版)。『立原道造全集第1巻 詩集1』(角川書店)に収録されています。
立原道造は1914年(大正3年)生まれで、24歳という若さで結核で亡くなっています。
のちのおもひに
立原道造
夢はいつもかへつて行つた 山の麓のさびしい村に
水引草に風が立ち
草ひばりのうたひやまない
しづまりかへつた午さがりの林道を
うららかに青い空には陽がてり 火山は眠つてゐた
――そして私は
見て来たものを 島々を 波を 岬を 日光月光を
だれもきいてゐないと知りながら 語りつづけた……
夢は そのさきには もうゆかない
なにもかも 忘れ果てようとおもひ
忘れつくしたことさへ 忘れてしまつたときには
夢は 真冬の追憶のうちに凍るであらう
そして それは戸をあけて 寂寥のなかに
星くづにてらされた道を過ぎ去るであらう
一読してとても美しい詩だと感じました。心が静まるような魅力的な詩です。
難しい言葉は使っていないし、全体のイメージとしてはなんとなくわかります。
でも、細かく読んでみると、何のことを言っているのかよくわからなくて難しい。
詩人の置かれている状況や、背景にあるものを知らないと、理解しにくいのかもしれませんが、あえて知らないままに読みました。
「 夢はいつもかへつて行つた」の夢は、希望に満ちた将来の夢という「夢」には思えません。
むしろ「心」とか、「思い」の方が近いような気がします。
心(思い)が帰って行くのは、麓のさびしい村。ふるさとなのか、詩人の原風景なのでしょうね。具体的な風景が描かれています。
そしてそこに留まって、詩人の心はどこへも行かない。行けないのかもしれません。
4連1行目の「夢は 真冬の追憶のうちに凍るであらう」は、宣言というか、宣告というか、それまでのやんわりした表現とは違って、詩人の強い気持ちが表現されています。
作者は結核で24歳で亡くなっているので死の予感も感じさせます。
星の光さえない暗闇。どこまでも広がる雪原。真冬の冷気の中に凍り付いた透明な夢の塊が、ただ静かにたたずんでいる。そんなイメージを持ちました。